「戦争孤児」の展示に取り組んで◆企画展「戦争の中の子どもたち」によせて
ボランティア  丸山 泰子






 

上田有見子さんとふたりで取り組んだ展示
 最初、このテーマに取り組みたいと思ったのは、満州で孤児になった橋本克巳さん(ピースあいち語り手)の体験を小さい子どもたちにも、展示で伝えられないかという思いからでした。そして、戦争孤児を身近に感じてもらえるように、名古屋の戦争孤児についても調べることにしました。そのためには、まずは「戦争孤児」について勉強しなければとふたりで戦争孤児に関する文献を何冊も読んで勉強しました。
 名古屋に戦争孤児を受け入れた民間の養護施設があったことを探し出した上田さんは、取材できないかと何度も交渉し、養護施設創設者のお孫さんに話が聞けることになりました。私は橋本さん宅を訪問。永年ファイルしてこられた貴重な資料を全て借りることができました。
 私たちは、文章はできるだけ少なくして、写真やイラストを重視することにしました。上田さんは、知り合いの藤井さん親子に絵を依頼。パネルの背景にもこだわりました。爆弾の落ちてこない平和な空と鳩をイメージしました。上田さんの提案でメッセージも掲げることにしました。ふたりでやったハレパネの作業も楽しかった。展示のレイアウトも私たちで工夫しました。
 上田さんは、現職の保育園の園長さん。超多忙の中、がんばってくださいました。とても良い展示になったと自負しています。是非多くの方にみていただきたいと思います。

王希奇作「一九四六」
(満蒙開拓平和記念館にて)

頭から離れなかった写真
  今回の展示でどうしてもパネルに使用したかった写真が3点ありました。出版社の許諾を得て掲載することができました。
・ 今年3月長野県阿智村の満蒙開拓平和記念館で開催された、中国人画家王希奇(ワンシーチー)さんの描いた巨大絵画「一九四六」の中央に描かれている「男の子の姿をした少女」(大月書店)
・ 今年6月24日ETV特集「置き去りにされた子どもたち~沖縄戦争孤児の戦後~」で紹介された「沖縄のコザ孤児院の子どもたち」(沖縄公文書館)
・ 2014年汐文社より発行された「シリーズ戦争孤児」①から、「くつみがきをする少女」
 各社とも大変丁寧な対応をしてくださいました。とくに、「シリーズ戦争孤児」の編集(執筆)に関わっておられる、本庄 豊氏、家長知史氏とメールでやりとりできたことは、大変嬉しい出来事でした。

衝撃的だった写真集
 王さんの心にとまった「男の子の姿をした少女」の写真は、写真家飯山達雄氏(1904~1993)が撮影。飯山達雄氏の著作に「小さな引揚者」(草土文化)という写真集がありますが、この中でもこの写真が紹介されています。一度見たら、やはり忘れられない写真です。独りぼっちになって引き揚げてきた、橋本さんの姿と重なりました。
 橋本さんは、長い間自分の体験を語れずにいた理由として、ソ連兵や現地の人たちに連れ去られた若い女性たちのことを考えると、とても話す気にはなれなかったと語っておられます。「小さな引揚者」のあとがきで、飯山氏が妊娠して引き揚げてきた女性たちのことを、赤裸々に書いておられますが、何度読んでも、本当にこんな悲しいことがあったのかと心が痛くなります。私は、小さい子どもたちにも、それとなくわかってほしいと橋本さんを紹介したパネルで「若い女の人が連れ去られることもありました」とあえて書きました。

展示の前で取材を受ける筆者

早朝のNHKテレビ放送と中日新聞の記事
  10月6日、NHKテレビが朝のニュース番組で2回、展示を紹介。 私もインタビューを受け、ほんのわずかですが、画面に映し出されました。マスクを外さず、アップにしないで、とお願いをしての撮影でしたが、放送直後から「見たよ」と連絡が入り、恥ずかしいやら、嬉しいやら。しばらく会っていなかった友人からも、「拝見しました」とはがきが届きました。そして、早速展示を見に来てくださいました。
 中日新聞も6日の朝刊(市民版)に掲載。まとまりのない私の説明を実に分かりやすく“戦争孤児の苦しみ知って”と素晴らしいタイトルまでつけて紹介してくださいました。

紙芝居動画
 橋本克巳さんのパネルで使った紙芝居の絵(平田和香さん提供)を動画にして映像コーナーでみられるようにしてもらいました。「満蒙開拓」について小さい子どもたちでもわかるように編集しています。ご来館のおりには、ぜひ、2階映像コーナーにもお立ち寄りください。

 世界では、また、新しい戦闘(戦争)が始まり、多くの子どもたちが犠牲になっています。「なぜわたしたちは止められないのか」、展示を見ながら、ご家族やお友だちと話し合っていただけたら幸いです。ご一緒に考えていきたいと思います。