「沖縄慰霊の日」講演会と沖縄戦語り継ぎに参加して◆6月24日・ピースあいち
船越 亜侑美(金沢市在住)

                                           



 

 私は、幼少期より今は亡き祖父母から、戦争体験をよく聞いて育ちました。また、2014年夏ひめゆり平和記念資料館を訪れたことをきっかけに、沖縄県について強い関心を抱くようになり、平和のために何ができるのだろう、という思いに日々突き動かされるようになりました。今回もそのような思いから、訪問させていただきました。

 

 「新しい戦前を考える」というテーマで開催された阪井芳貴さんの講演では、ウクライナ戦争への日本の関り方や諸外国へ対する日本メディアの姿勢、国内の防衛力強化の動向、という観点から、平和へ向けて考えるべきことをお話頂きました。特に、防衛費大幅増が決定し、日本はこの5年間で世界第3位の軍事大国になってしまうこと、自治体による自衛官募集、沖縄県(石垣島)の民間の港湾地区にPAC3を配備したことなど、耳を疑いたくなるお話に、疑問であった「新しい戦前」の意味を知りました。
 国の軍事的な試みが、沖縄県民に不安を生じさせ、じわじわと安全が脅かされていることを知り、衝撃を受けました。78年前の悲惨な戦争から、日本は何を学んできたのでしょうか。沖縄県が、6月23日を慰霊の日と定め、平和への誓いを世界中に訴えている傍で、日本の本土はまるで他人事のようです。この「新しい戦前」の現状に大きな危機感をいだくと共に、悲しい気持ちでいっぱいになりました。

展覧会場の様子1

 また、服部忠一郎さんによる沖縄の地上戦を体験された比嘉俊太郎さんの戦争体験の語り継ぎ。ガマからガマへとアメリカの鉄の暴風から逃げ回る中、一緒に戦火を逃れていたお母様が被弾され、当時6歳だった比嘉さんの目の前で亡くなられたのだそうです。想像を絶する悲惨な光景に涙が溢れました。幼い時の戦争の記憶があまりに悲しく、思い出すと苦しくなり、「戦争は、恐怖と苦しみ、空白しかなかった」と、これまで一切話されてこなかったそうです。
 それでも、勇気を持って話してくださったのは、このような悲惨な戦争を二度と繰り返さぬように、という思いから、私たちへ平和の願いを込めてバトンを渡してくださったのだと思います。

 

 この平和のバトンをつなげていくためには、過去の悲しい戦争の歴史を学び知ることが大切だと思います。この平和のバトンを落とさぬよう、しっかりと握りしめながら、未来ある子どもたちと共に、これからも「平和」について一緒に学び、考え続けていきたいと思います。