5月、憲法、母のこと
NPO理事・運営委員  下方 映子 






展覧会場の様子1

展覧会場の様子1

2007年5月4日

 

  5月は、ピースあいちが誕生した月。2007年のことです。五月晴れの青空に、真っ白な建物がよく映えていました。それから16年が経ち、開館を祝う写真の中には、もう二度と会えなくなってしまった、何人もの懐かしい笑顔が見られます。

  3年前にこの世を去った私の母・初代館長の野間美喜子は、終戦の時わずか6歳でした。疎開を繰り返して命からがら生き延び、「今日からはもう空襲はないのだ」と心からほっとして見上げた8月の空も、きっと同じように青かったことでしょう。
  人間を人間ではなくさせる戦争のむごさ、一番大切な心の自由が奪われることへの憤りは、生涯褪せることのない原体験として、幼かった母の心に刻み込まれました。
 だからこそ、「日本はもう二度と戦争はしません」「人はみな平等で自由なのです」と教えられた日本国憲法の放つ輝きは、どれほどのものだったでしょうか。母が書き残した多くの原稿には、憲法への愛が溢れています。それは、残念ながら、戦後生まれの自分には、体感として決して分からないもののようにも思います。

  憲法の平和主義が形骸化する危機感から、ピースあいちでは有志による憲法の勉強会を重ねてきました。ロシアのウクライナ侵攻以来、国民全体の憲法観が動揺しているように見えますが、私たちの勉強会においても、世界の現実を前に、憲法の掲げる理想である平和主義をどう考えるべきか、毎回様々な意見が出されます。
  勉強会やメルマガの連載に対して、会員やボランティアの方からも賛否両論があり、「平和が大切」「戦争は絶対にしてはならない」という気持ちは同じでも、国の防衛や軍事に関して正反対のご意見が寄せられることもありました。それがピースあいちの良いところでもあるのですが、なかなか難しいなあというのが正直な気持ちです。

  日本人の中には、深いところに日本国憲法への愛着が根付いていると、個人的には感じています。これほど長い間、政権党が執拗にネガティブキャンペーンを行ってきたにもかかわらず、世論調査ではよく踏みとどまっていると思うからです。
  その胸の中の理想を守り、「お花畑」などという揶揄や中傷に負けることなく、現実の政治の逆風に耐えきることができるか、いよいよ正念場なのだと思います。ピースあいちの展示や企画は、いつでもそのメッセージを発していますし、それは見てくださった方の心に届いているはずです。
  時の流れとともに、ピースあいちを支える顔触れは変わってゆきますが、この小さな資料館がこれからも永く続いていくために、携わる私たちが楽しく運営することがとても大切だと考えています。