企画展「地図と写真で見る名古屋と戦争」に寄せて◆情報コントロールの「成果」だった地図
平和のための戦争メモリアルセンター理事  西形 久司






 のっけからクイズです。戦争中に米軍が作成した、東京の地図のなかで、天皇家の住まいのある皇居はどのように書かれているでしょうか? 次の選択肢から選んでください。
 ①最重要攻撃目標  ②優先的に攻撃すべき目標  ③市街地と同じ焼き払うべき目標  ④公園  この場合の東京の地図とは、1945年3月10日のいわゆる東京大空襲を含む、2月から5月の3か月間に東京のどこを焼き払ったかを示した図=損害評価図です(工藤洋三『日本の都市を焼き尽くせ!』69ページ)。
 この図では、皇居は神宮外苑や新宿御苑などと並んでパーク・エリアpark areasに類別されています。したがって正解は④です。

 日本本土の主要な都市を爆撃するとき、米軍が目指したのは、消火する側にとって手に負えないような猛烈な火災を起こして、都市市街地を焼き払うことでした。米軍の資料にappliance fireアプライアンス火災という語が登場しますが(appliance=施設・設備)、消火のための施設・設備ではとうてい消せないような火災によって市民を火焔地獄に陥れることが目指されていました。
 そのためには、燃えやすい木造家屋が密集している人口密度の高い地域から優先的に焼き払っていくことになります。その意味では、建物が密集しているわけではない皇居は、公園と同じ位置づけになるのです。

 このことは、名古屋の空襲における名古屋城の位置付けとも重なります。第三師団の司令部などが置かれていて、軍事的には重要度が高いはずの名古屋城の一帯は、爆撃目標を示した焼夷区画図では空白域=目標外となっています。
 名古屋城が焼け落ちたのは偶発的であり、米軍に何か狙いがあって焼いたわけではないのです。



 さて。今回の企画展は、金子力さんの長年の蓄積、というより飽くなき追究の成果をひとところに結集させたものです。

 まずは明治期の名古屋城の地図にまでさかのぼり、名古屋城が陸軍の拠点となったことを跡付けます。さらに都市計画が城の近くまで押し寄せたことも、地図の変遷から読み解きます。そして戦争の始まりとともに名古屋城の軍事施設が消されたことを証します。このような現象は名古屋城に限らず、名古屋の街全体でも大規模に展開されていたことが明らかにされます。


 衝撃的なのは、歴史的に国土の変遷を客観的に示し、記録するはずの地形図(いまで言う国土地理院の地形図)までが、「改描」というかたちで改ざんされているという事実です。
 そして最後に米軍作成の地図と国内で作成された地図とを対比させることにより、地図の改ざんが無惨なまでに無意味であったという事実を私たちに突きつけます。


 このように地図の変遷を追うことにより、一つの都市と戦争との関わりを実証的に解明するという試みは、とても画期的なものです。また、米軍地図との対比は、全国的な空襲研究という点でも、新生面を切り開いてみせたものであり、近年増えてきた地図を手がかりにした研究という面でも、実証的なケース・スタディの一つの到達点であるといえます。
 今回の企画展の最大のポイントは、「地図も時にはウソつきになる」という点を明らかにしたことです。もちろん、地図は人間がある意図をもって作成しますから、ウソをついたのは人間の方です。

 20世紀以降の戦争は、国家総力戦という特徴をもっています。国家の持つありとあらゆる力(軍事力なみならず政治や経済、文化など社会的な総合力)と力とがぶつかり合うのが戦争です。
 このような戦争では、国民が一人残らず同じ方向を向いていないと敵国に打ち勝つことができませんから、違う方を向いていたり、よそ見をしたりすることのないように、国民全体に統制の網を掛けます。その統制がいちばん顕著に表れるのが情報です。

 国家にとって都合の悪い情報は隠したり、なかったことにされてしまいます。その代りに都合の良い情報――それは時にはデマになるのですが――をせっせと拡散します。国家が末端の国民の一人ひとりにまで監視の目を行き届かせることはできませんから、秘密情報をいっぱいつくっておき、スパイが街なかにまで潜入しているかもしれないからと不安心理を煽りながら、密告や相互監視を徹底します。
 ここまでくると、理性的な思考は息も絶え絶えですから、真っ赤なウソであっても、そのウソを見抜くことができません。ウソも100回繰り返せば、ホントに化けてしまうのです。戦争中の改ざんされた地図は、まさにそのような情報コントロールの「成果」だったわけです。

 大小とりどりの怪しい情報に取り巻かれるという経験は、少なからずネットに絡めとられている現代の私たちにとっては日常のことであり、戦時に限定されるわけではありません。
 どうすれば、国家単位でつく大きなウソに騙されずにすむのでしょう? 権力に欺かれないために必要なもの、私たちに求められているものは何でしょう?
 それは思いのほか単純なことかもしれませんが、「これっておかしくない?」とピンとくるセンサーの感度の良さと、世間の流れとは距離を置きつつ、周囲の雑音に耐えて自分の頭で考えてみる賢さ、そして情報に使われるのではなく情報の主体になるという意味での成熟などなど。
 言うのは簡単ですが、おこなうのはなかなか大変なことです。それでも日々心掛けているだけでも違うのかな、と思っています。