企画展「地図と写真で見る名古屋と戦争」◆3月7日~5月6日開催
運営委員  金子  力




                                           
 

 カーナビで目的地までのルートを瞬時に知ることができ、目的地の詳細が衛星写真で手軽に見ることができる時代に、紙の地図は必要なくなっていくのでしょうか?
 デジタル化された地図は新しい道路の開通、鉄道の廃止等の情報が最新のものに更新されていきます。紙の地図では瞬時に書き換えることは難しく、数か月、数年を経て改訂版が出版されればいいほうで、需要の少ない区域の地図の改定はいつになるのかわかりません。

 

 ところが地図を歴史資料としてみると、紙の地図の価値は変わってきます。江戸の大名屋敷の位置や町の様子は当時の紙の地図から知ることができます。しかも、発行年の情報で江戸の変遷を知ることもできます。
 例えば名古屋を描いた地図を年代順に見ていくと、城下町として出発した町が近代都市となっていく様子がよくわかります。

 

 名古屋城は築城以来、修復を重ねながらもその姿を保ってきました。明治になると尾張徳川家の殿様は東京に移転、名古屋城には明治政府の軍隊が駐屯します。二の丸御殿、三の丸の家臣の屋敷は陸軍用地へと姿を変えていきます。明治26年、名古屋城本丸天守閣は陸軍省から宮内省に移管され「名古屋離宮」となります。昭和5年には天守閣が「国宝」となり、宮内省から名古屋市に移管されています。昭和8年には陸軍用地であった三の丸に市役所が、昭和13年には愛知県庁が竣工します。

 

 こうした変遷を地図で見ることができます。
 昭和16年5月以降、名古屋城の地図から陸軍の姿が消えます。名古屋城だけではありませんでした。地図から軍施設、兵器工場が全て消えてしまいました。何があったのでしょうか? 国立公文書館の史料の中にその答えがありました。

 今回の企画展「地図と写真で見る名古屋と戦争」は、市販地図以外に国土地理院地形図や空中写真で名古屋と戦争をたどる企画です。米軍偵察機が撮影した爆撃前後の名古屋、名古屋城の焼失前と後の空中写真、そして戦後の焼け跡と復興の様子をカラーで撮影したGHQのモージャー氏の写真(国会図書館蔵)の展示もあります。