国際法ゼミのピースあいち訪問学習◆空襲体験談と名古屋の捕虜
愛知学院大学法学部准教授  尋木 真也






望月菊枝さんの学徒動員と空襲体験を聞く

戦争体験談の継承
 2022年11月19日(土)に、私たち愛知学院大学法学部の2年生国際法ゼミは、ピースあいちを訪問し、平和学習を行いました。まず、望月菊枝さんから、女学校時代の戦争体験談をうかがいました。校庭につくった防空壕で空襲に遭い、すぐ隣の防空壕に隠れていた友人を含め、40人以上が亡くなったそうです。電線にまで飛ばされたり、体の一部が無くなってしまっている仲間を見たところから記憶がなく、現在記憶に残っているのは、夜遅く下校し、父親の出迎えを受けるところからということでした。望月さんは、淡々と語っていましたが、その凄惨な様子を思い浮かべると、涙がにじみました。
 空襲体験のお話の後、当時の食事を再現したお弁当を見せていただきました。おいもご飯でしたが、私たちの想像するものとは割合が逆で、さつまいもに少量の米粒が散らされている、極めて質素な食事でした。それでも、当時は自分だけでなくみんながひもじい思いをしていたから、空腹はさほど苦ではなかったとのことです。戦後も食糧難は続きましたが、夜電気をつけられるようになった喜びが非常に大きく、明るい希望と安心を覚えたとのお話が印象的でした。最後に、望月さんは、こうした経験を語り継ぐことの大切さを強く訴えられていました。東京大空襲は知っていても、名古屋空襲は知らない若者が増えているなか、私も授業やピースあいちの訪問等を通じて、身近な戦争の話を伝播していく意志を強くしました。

戦争の教訓:国際法教育の必要性
 望月さんは、当初軍事工場で働いていたものの、校長先生の判断のもと、空爆を避けるために学校で軍需品の生産作業を続けたとお話しされました。校長先生の判断は、生徒を思ってのことと思いますが、国際法の観点からは、学校を軍事目標として許容することになってしまうため、必ずしも人道的によい行動であったとは言い切れないところがあります。
 現在、ロシアによるウクライナ侵攻が続いており、ロシアの国際法違反が連日報道されています。他方で、ウクライナ軍が学校を拠点に応戦している事実なども、小さな記事で取り上げられています。学校を軍事利用すると、学校に対する空爆が許容されうることになります。先の校長先生の話とも重なりますが、市民の命を守るためには、軍人だけでなく、私たち市民も一定の国際法の知識と実践が求められます。こうした教訓をもとに、私も末端の国際法学者として、戦争に関する国際法の教育に一層力を入れていかなければならないと感じました。

ボランティアの野田隆稔さんの展示ガイドで

名古屋の捕虜と民間人抑留者
 続いて、野田隆稔さんから、名古屋にいた捕虜のお話をうかがいました。日露戦争や第1次大戦時は、日本はハーグ陸戦規則6条に基づき、とりわけ将校クラスの捕虜に対しては名古屋のまちの自由行動を認めるなど、模範的な厚遇を与えていたそうです。他方で、第2次世界大戦時には、食糧・衛生事情も悪く、階級の低い順に捕虜たちは命を落としていきました。松坂屋の近くには民間外国人の抑留施設があり、その後現豊田市のお寺に移送されたイタリア人抑留者の詳細なお話もうかがいました。
 現在、2年ゼミでは、名古屋における捕虜の待遇について共同研究をしています。『捕虜のいた町』の著者である馬場豊先生にゼミで講義いただくなど、名古屋捕虜収容所の事実に関する知識を深めるとともに、当時の国際法に照らして法的評価を試みています。違法か合法かも重要ですが、それ以上に、名古屋や東海地方という身近な地域で、一方では敷島製パンの例のように捕虜との共生が図られ、他方では他の収容所同様に虐待などが行われた事実を知ることにより、平和と多文化共生の大切さを学んでほしいと思っています。