ピースあいち語り手の会、例会を開催しました
ボランティア  高橋 よしの

                                           
 

 「ピースあいち」語り手の会第12回例会が6月12日(日)午後1時30分から、3年ぶりに開催されました。参加者は18名で、支援事務局を含めた関係者は14名。館長は交流の場を大切にし、これからも話せる場を作る努力をしたいと挨拶しました。

 

 コロナ感染拡大の中、20年は事業が中止され、21年の事業は開催されてきましたが、コロナ前の状況には至っていないと吉岡事務局長から報告されました。
 ・「平和学習支援事業」は戦争に関する資料館運営協議会(愛知県・名古屋市設置)から受託した小中学校での事業。20年度は中止、21年度は10校(636人)で実施。
 ・「夏の戦争体験を聴くシリーズ」は、20年にはオンラインによる語りを3回(159人参加)、21年は12回(568人参加)実施。
 ・「愛知・名古屋戦争に関する資料館(2015年開館)」の戦争体験語り事業は、20年は中止、21年は8回(113人参加)開催しました。
 ・学校や団体からの要請で、語り手を派遣または「ピースあいち」への訪問があった場合の語りや館内ガイド事業は、20年は30回(1317人)、21年は40回(2430人)でした。

展覧会場の様子1

 

 役員改選では、竹川日出男さんが代表を退任され、後任に坂井榮子さんが選出されました。竹川さんは引退にあたって「創立以来13年、語り手のみなさんの支援をしてきたことはピースあいちの、また私の誇りです。坂井さん、吉岡さんに後を任せ、安心して身を引く」と話しました。坂井さんは「体験された方の話や言葉は、心に響くものです。それを伝えるため一生懸命頑張ります。」と決意を述べ、話される際の工夫のお願いも添えました。

 

 その後の語り手の方の交流からいくつかの近況報告を紹介。
*生きている間に、ウクライナとロシアの戦争が始まるとは思いもしなかった。毎日心を痛めている。支えてもらいながら「語る」という形でやらせてもらえていることに感謝している。
*昭和20年は10歳。満州からの引揚は、敗戦民族のたどる地獄道でした。ゴールデンウイークの時、ウクライナのことが自分に重なり体調を崩しました。生きているのが辛く、医師に戦争を経験した場合におきる症状―「共感疲労」ですね、と言われました。
*語りを若い方とチームを組んでやっていきたい。ゲームやデジタルで育った子どもたちに「死んでも起きてこないんだよ」と伝えたい。
*シャンソン和尚今日も歌います、と「いのちの賛歌 平和コンサート」を一宮駅前のビルで実施した。420人の参加があった。
*70歳違う語り継ぎ手のかわいい方に出会った。時々家に来てくださりお菓子を食べながらお話している。