自分ごととして不条理と向き合う
名城大学教授 当NPO理事  渋井 康弘

                                           
 

 ある同僚のため息
 ある同僚が言っていた。小学校の入学式に参列した知人が「とても可愛い」と言っていたので、「そう思うと余計、ウクライナの子どもたちが可哀そう」と感想を述べたら、「でも日本は平和なのでありがたい」という返答が来たと。同僚は「そっちに行くのかー」と距離を感じてしまったそうだ。
 私にも同様の経験がある。この同僚の知人にとって、ウクライナの子どもたちのことは、遠い国の他人ごとなのだろう。分からなくもないが、しかし……

展覧会場の様子1

宮原館長の話を聞く学生たち

 

ウクライナ侵攻と沖縄の日本復帰50年

 6月1日と8日の2回にわたり、授業の一環として、延べ48名の大学生を連れてピースあいちを見学した(1日は私が、8日は共同で講義をしている太田志乃先生が担当)。巷では連日のようにロシアによるウクライナ侵攻の報道。また沖縄の日本復帰50年の年でもあり、ピースあいちもそれにちなんだ準常設展を催している。学生たちはそこから何を学びとってくれただろうか。

 暮らしの場がそのまま戦場となり地獄となった沖縄戦。占領下で米軍におびえた戦後の沖縄。平和憲法に希望を託した沖縄返還。それにもかかわらず、日本中の米軍基地がより一層集中させられたその後の沖縄……限られた時間ながらも、これらの実状をくみ取って欲しいと願いつつ、3階の準常設展を見学する学生たちの横顔を見守った。

展覧会場の様子1

会場を見学する学生たち

不条理は繰り返されてきた
 2階の常設展では、愛知・名古屋の人々が経験した戦争・空襲が15年戦争の中に位置づけられながら、いつもどおりディスプレイされていた。そこには、今のウクライナで大人たちに翻弄され、不条理な運命を背負わされ、犠牲を強いられている子どもたちと同じ子どもたちの姿があった。不条理は繰り返される。あのウクライナで起こっていることは、ほんの70数年前の愛知・名古屋でも起こっていたのだ。
 ウクライナも沖縄も他人ごとではありえない。もしかしたら自分自身が爆撃されたかもしれない。また、自分が爆撃したかもしれない。自分たちの作った兵器が誰かを殺したかもしれない。自分たちの代わりに誰かを犠牲にしたかもしれない。ほんの少し前の時代に生まれていたら……あるいは今も。
 さまざまな企画展や準常設展を催しながら、2階には愛知・名古屋の常設展をおき、ピースあいちは戦争と平和を他人ごととしてではなく、我がこと、自分ごととして考えることの大切さを教えてくれている。

自分ごとにしてくれただろうか
 見学の後、自分自身の問題設定をしてレポートを提出するように学生に伝えた。提出されたレポートを見ると、何人かの学生が自分自身の出身地・地元の戦争・空襲をテーマに設定していた。我がこと、自分ごととして考えようとする学生が増えたのであれば、嬉しいのだが。