ボランティア雑感◆ピースあいち15周年によせて

                                           
 

たくさんの出会い   野原 良和
 2007年、新聞に載ったピースあいちボランティア募集の記事が目に留まった。どんなところか、何をするかもわからないままなぜか参加していた。当初は月4回の当番。会館運営も一からの出発で、事務局もてんやわんや。「都合が悪く当番できない」と言ったら、「自分でだれか探して!」と銀子さんに言われたのも懐かしい。ボランティア仲間の佐々木さんと鮎釣りに行ったり、シベリア抑留の体験を持つ横山周導さんとの出逢いなども心に残っている。
 一つやりそこなったことがある。野間さんに「ピースあいちのロゴをいれたTシャツをつくりたい」と話したら「いいね。最後までやってね」と言われたこと。もう一つあった。これも野間さんと話してできた、お地蔵さん前の芝桜。枯れてしまったので復活させたいと思ってはいるのだが…。

平和を願って   桑原 勝美
 当館の常設展示は平和を学ぶ資料の宝庫です。その一つ、詩「希望を編みあわせる」は、“平和をつくるために/なにかをしようとしている/世界中の人たちの希望に/わたしたちの希望を/編みあわせていこう”と詠っています。我が国は憲法に「戦争の放棄」を掲げていますが、この理念は私のボランティア活動の動機であり生きる希望です。
 また、この理念に通底する当館で、私が差別や偏見を感じることはなく、穏やかに当番に就いています。このような組織・社会の在り方が平和の原点となるのだと思います。私が15年間も務めることができましたのは、皆さん方から温かいご配慮をいただいたお蔭だと深く感謝しています。

心地よい場   坂井 栄子
  「ピースあいち」のオープン前から資料整理をして関わるようになって17年。団体対応、企画展チームへと、時には週に3日以上足を向けるようになって言われた言葉「その年で行けるところがあっていいね!」は正しくその通りです。
 その上に、共感を覚える人たちの集まりは心地よいものです。昨今のご時世でいえば、憲法改正の動きからウクライナ問題まで誰にもはばからず、それぞれに意見を述べる朝のミーティングや昼食時は時間の経つのも忘れるほどです。「ピースあいち」を知れば知るほど知識が深まり、「戦争と平和」について思いをはせ、考えていきたいと思うようになりました。健康である限りずーっと続けていきたいボランティアです。

永くて短かったボランティア15年   野田 隆稔 
 「ピースあいち」ができた当初からボランティアをしている。当初からのボランティアさんも、年をとったからとか、病気になったからとかで半数ぐらいになってしまった。中には物故者もおられる。当初と比べると若くなった。入れ替えができるところがピースあいちは素晴らしい。それだけ、平和を大切に思っておられる方が多いのだ。
 私は月二回の当番と、ガイドと年に一度ぐらいの展示に関わっている。ガイドをするためにはピースの展示物の内容を知らないとできないので、勉強をした。高校で社会科を教えていたのである程度の知識はあったが、戦争と平和についてはより深く知ることができ、自分のためになった。
 その中で学んだこと、どんな理由があれ、戦争には正義はない。絶対にやるべきではないということである。そのもとに今後も語りを続けていきたい。

 

十五年+α?   河原 忠弘
 私は職業人生活の後、二回のがん手術をうけ、以来十七年が過ぎた。そのうちの殆どの期間を“ピースあいち”でお世話になった。先輩が準備してくれた博物館を、みなと力を寄せ合って盛り立てるのに多少は貢献できたと自負している。そしてボランティアのご褒美は、その活動の成果の中に見出せることができる、ということも学んだ。
 平和推進という遠大な目標をかかげ、地域から思いを発信するこの活動の「ともしび」は、次世代の人々に確実に引き継がれていると実感できている。そして未来がある事業の契機をつくることに残りの時間を充てたいと思う。
 他では経験できない贅沢な十五年であったが、さらに+α?と欲張っている。

今こそ「ピースあいち」の出番   近藤 直美
 「ピースあいち」十五年お目出とう。野間さん、宮原さん、大勢の方々の理念と努力で作ってもらった貴館です。世間にも認められ立派に大役を果たしている貴館は素晴らしい。二十年、五十年と誕生祝ができますように。貴館のおかげで、大勢の方々と出逢い、映画、本、お喋りティータイム、楽しい時間をありがとう。十五年の間にお別れした方々のお顔を思いだして手を合わせています。
 まさか自分が生きている間に戦争が起きるとは思っていませんでした。無辜の人々の逃げ惑う姿をテレビで見ていると、七十五年前に母の手に捕まって引き揚げて来た時を思い出し涙しています。ウクライナの人々に一日も早く平安の日が訪れますように。
 今こそ「ピースあいち」貴館の出番です。

手作りのピースあいち   村上 扶左雄
 開館間近、正面壁面に足場を組んでシンボルマークを描いたのは15年前の4月下旬だった。最近は色落ちも進み心配していたが、前面壁の修復工事のなかで新しく描きなおされると聞いて楽しみにしている。開館当初の企画展の展示では、A3印刷したパネル原稿をベニヤ板に何枚も貼り合わせて一枚一枚パネルを作ったり、タイトル看板は手書きでこれもベニヤ板に張り付けて…と結構繊細でかつ力仕事だった。今は大型印刷機の寄付もあり、作業はずいぶん楽になったように思う。が、企画も作業も特技を出し合いみんなの力で、というピースあいちの伝統(?)が続いているのは嬉しい。
 もうすぐ来館者9万人達成という。この日の垂れ幕は、ぜひとも手書き、手作りで用意したいと思っている。

キッカケは?   浅井 和子
 私自身がボランティアに参加しようと思ったキッカケは?と考えました。
 寄付をされた加藤たづさんの記事を読んで素晴らしいと感激をして、私は財産は無いけど少しの時間なら協力できるとボランティアに参加したのでした。
 あれから15年、さまざまな体験や学びができたと思います。歴史を正しく認識する事の大事さを最近つくづく思います。形にして伝える事で拡がりができ、共感を呼び込むその事で新しい形ができていく。しかし事実が変化していかないようにしなければならない。自分自身が歴史を把握して伝えなければならない。
 そのためには繰り返し学んでいく姿勢が大事だと思います。