連載④「日本国憲法を学びなおす」 

五月、そして憲法━96条改憲問題(その3)(2013年)
    (野間美喜子遺稿集『向日葵は永遠に』より)
                                           
 

展覧会場の様子1


3分の2発議要件の合理性

 最後にもう一つ、考えてみよう。なぜ国会議員の発議が3分の2以上で、国民投票が過半数なのか。これには二つ理由が考えられる。
 一つは、権力との距離関係である。国会は国民に比べて、絶対的に権力に近い位置にある。議院内閣制をとっている日本では、政府を構成して権力を行使するグループは、通常の場合、衆議院の過半数を占めている。だから、国会の多数決(過半数)では政府の暴走を止められない。「同じ穴のむじな」だからである。政府と一体の国会が過半数で憲法改正の発議ができるならば、時の政府はいつでも憲法を自分の都合のいいものに変える発議ができてしまう。それでは困るのである。憲法が権力の暴走を防ぐためにある以上、権力により近い国会の要件が国民投票より厳しいのは当然である。
 もう一つは、憲法改正の内容を議論できるのは国会であって、国民ではないからだ。国民は発議された改正案に賛否を投じることしかできない。3分の2要件は、国会で十分な議論が尽くされるための担保として存在する。3分の2の国会議員の賛成も得られない内容のものを国民の前に投げ出さないためである。

終わりに

 終わりにもう一つ、私が気になっている疑問を書く。それは「憲法96条を憲法96条の手続きで変えることができるのだろうか?」という疑問である。
 この憲法は、そもそも制定されたときに、「この憲法は、『各議院の総議員の3分の2以上の賛成による発議」と『国民投票の過半数の賛成による承認』がなければ変えられませんよ」と決められている(運命づけられている)のではないかということなのだ。それこそ、先に紹介した樋口先生の言われる趣旨のように、96条は、「悲惨な戦争を体験した過去の国民が、未来の国民の起こすかもしれない妄挙を防ぎ、人類普遍の原理が末永く保持されるように、厳しい改正要件を課したもの」であって、この憲法が存在する限り(この憲法を全否定しない限り)、この改正要件自体を変更することはできないと考えるべきではないかと思うのである。
 この憲法を全否定するのであれば、それはもはや「革命」であって「改正」ではない。憲法96条は、現憲法を前提にする限り、変更できないものではないかと思うのである。 ちなみに、そのように考えると、自民党が現在出している「自主憲法案」は、現憲法を全面的に作り直す(全否定する)ものであるから、改正手続きになじまない(改正手続きでは変えられない)性質のものではないかと思うのである。

 今回は96条改憲について、集めた情報や意見を整理して考えてみたが、本命は9条改憲にあることは明らかである。これについても、いつか遠くない機会に反論がきちんと書けるよう、準備しておきたいと思う。

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三回にわたって、立憲主義とは何か、諸外国の改憲はどのようになっているか、なぜ「3分の2」なのか、等の論点から、96条改憲論を論破する試みをご紹介しました。来月は、いよいよ「本丸」の9条改憲をテーマにしたいと思います。