◆名古屋空襲から77年~空襲犠牲者追悼のともし火法要
運営委員  熊本 亮子

                                           
 


展覧会場の様子1

 今年は新型コロナ禍の中ではありましたが、3月12日にピースあいちの平和地蔵さま前でともし火法要を行いました。平和メッセージの書かれたともし火を並べ、建昌寺と瑞光寺の僧侶お二人の読経の中、ピースあいちボランティアがひとりひとり順に手をあわせて追悼をしました。
 毎年平和地蔵さまに向かって手を合わせるのはなぜ?どうして戦争と平和の資料館にお地蔵さまがあるの?いま一度その由来を振り返ってみたいと思います。

展覧会場の様子1

 この小さなお地蔵さまは、ピースあいち設立時にご縁があってここにお迎えしたものです。1945(昭和20)年3月頃から、名古屋市街地への空襲が激しくなり、多くの人が亡くなりました。名古屋空襲の犠牲者を供養するため、中区の旧千早町の町内有志によって空襲から3年後の1948年3月にお地蔵さまは建立されました。やがてお地蔵さまのあった場所は高速道路用地となり、高架下で町内会長の遺族が守ってこられましたが、名東区の建昌寺に預けられ、後、八事霊園内の建昌寺の無縁墓地に移されていました。この情報を耳にしたのはピースあいちオープン前の2006年8月でした。資料館開館前の準備に追われる時でしたが、霊園へ出掛けて「それはそれはいいお顔で立っておられた」お地蔵さまと出会いました。即座に名古屋空襲の追悼のためにピースあいちへお迎えしたいと思って、町内会長さんと建昌寺さんのご厚意でお迎えすることとなったのでした。

 この時からピースあいちの平和地蔵さまはたくさんの来館者を出迎え、運営に携わるボランティアを見護り続け、いつも静かに私たちと共に永遠の平和を願ってくださっているのだと感じています。