一人ひとり、それぞれの人生◆語り手さんの同行して
愛知・名古屋 戦争に関する資料館 中村 文香

                                           


 

 名古屋市中区にあります「愛知・名古屋 戦争に関する資料館」では、次代を担う小中学生に戦争体験を語り伝え、戦争の教訓と平和の大切さを学んでもらうため、愛知県内の小中学校へ語り部さんを派遣する平和学習支援事業(戦争の体験を聞く会)を行っています。ピースあいちさんには、この事業に当初から関わっていただいており、語り部さんにお話をしてもらっています。昨年は新型コロナウイルス流行のため事業が中止になり、2年ぶりの実施となった今年度は、たくさんのご応募をいただいた中から10校の小中学校で授業を行うことができました。

展覧会場の様子1

 右端が筆者

 そのうちの7校で、語り部さんに同行して、体験談を聞かせていただきました。
 戦時下の学校教育や生活、名古屋空襲の体験談、疎開先での体験、学徒動員されて工場で働いた話や、家族が出征した話、長崎での被爆体験など、語り部さん一人ひとりにそれぞれの戦争体験がありました。
 その中でも特に私の印象に残っているのが、井戸早苗さんの空襲体験談です。

 井戸さんは、終戦当時6歳と、戦争体験者の中ではお若い方ですが、戦争末期の名古屋でご両親と暮らし、名古屋空襲を体験されています。私自身も名古屋で生まれ育ちましたので、お話に出てくる地名や情景にはなじみがあり、話が進むにつれ、見たことのない当時の街の様子が思い浮かんできました。
 井戸さんのお話には、ご両親やお兄さん、親戚のおばさんなど、ご自身を囲む人たちが出てきます。子どもの目に映った、戦争に翻弄される大人たちの姿や、自分の置かれた状況に対する歯がゆさ、そんな状況でも家族を思いやる気持ちなどが切々と語られ、戦時中の子どもを取り巻く社会がリアルに伝わってきました。
 “空襲警報が出たら、寒い冬、真夜中にひとりで遠くの防空壕まで走らなきゃいけなかった。その時代、大人はいっしょに逃げられなかった。” という体験談は、 “防空法の下では退去せず、消火活動を行うことが義務付けられた”、と文章で読むのとは印象がまるで違います。
 “これが最後になるかもしれない”と、もし一人になっても生き延びられるよう、6歳の子どもに米を持たせて送り出したお母さまの思いに胸が締め付けられました。
 授業の最後に井戸さんが生徒に伝えた “勉強をしなさい”という言葉にも、大変な時代を生きてきた方が言うからこその重みと説得力がありました。

 終戦から76年が経ち、当時を知る人は少なくなってきました。私はこの時代に戦争体験談を直接聞ける機会に恵まれたのは幸運だったと思います。「戦争とは何か」を学ぶだけでなく、その時何が起こって、人々は何を思い、どう行動したのか。そして今、その人たちは何を考えているのか…。
 私たち資料館職員も、当時の実物資料を活用し、後世に残すため努力しています。それに加えて、体験者の話をしっかりと次代に伝えていかなければならないと強く思いました。

 最後に、どの語り部さんも、背筋を伸ばして語る姿は若々しく、その語りからは「いま、伝えなければならない」という思いが強く伝わってきました。ボランティアで活動を続けられている語り部さん及びピースあいちのみなさまには尊敬と感謝の念に堪えません。これからも長く続けていただきたいと思います。
 私も語り部のみなさんのように、使命をもって行動できる人になりたいと思いました。