連載②「日本国憲法を学びなおす」 

五月、そして憲法━96条改憲問題(その1)(2013年)
    (野間美喜子遺稿集『向日葵は永遠に』より)

                                           
 
展覧会場の様子1

  憲法記念日の五月、連休もある五月、ピースあいちが開館した五月。空は青く、緑が萌えて、何かいいことがありそうな月。にもかかわらず、今年はそんな気分でない。憲法が変えられそうで危ない。

 歴史的にみれば、これまで改憲の危機は何度もあった。9条改憲はずっと政権を握ってきた自民党の悲願だったから、当然のことながら、多くの国民は警戒してきた。
 しかし驚いたことに、今回は96条の改憲が出てきた。これまで自民党でも、憲法96条を変えるなんてことを言いだした人はなかった。ところが、である。安倍晋三首相がこれを出してきた。だから今、私たちは、いやおうなく、この問題に立ち向かわねばならなくなった。

* 編集部注
現行憲法
第九章 改正
 第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

自民党憲法草案
第十章 改正
 第100条 この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、直ちに憲法改正を公布する。

 私は数カ月前から、96条改憲に反対する論拠をできるだけ多く集め、その中から、国民に分かりやすく端的に言い表しているものを探し出そうとしてきた。そのいくつかを紹介しながら、問題を整理してみようと思う。

憲法の本質論から

 まずは、憲法の本質からのアプローチである。

* 「立憲主義とは国家権力を縛ること。多くの人が勘違いをしているようだが、憲法は国民の権利を制限するものではないし、法律の親分でもない」 (伊藤真「中日新聞」2013年3月2日) 

* 「憲法は国民が統治者を規制する最後のよりどころ。半数を超えた程度の数の国会議員が、その他の反対を押し切って改定に乗り出すことでいいか。そんな改定案を示して国民に賛否を問うことが、主権者・国民を尊重した態度と言えるか。その案が国民投票で過半数の支持を得たとして、最高法規としての信頼性や安定性は十分か。国民が表明できるのは賛否だけであり、条文の内容に意見を言うことはできないからだ。広範な国会議員が十分に論議し、国民の熟慮に耐え、かつ多くの賛成が得られる案を示す━それこそが国会の使命であろう」 (「北海道新聞」山崎隆志論説委員) 

* 「近代憲法の使命は、ときの権力の手足を縛り、国民の基本的人権を守ることにある。それゆえ憲法は、ときの権力が自己に都合よく憲法を変えることをあらかじめ防ぐべく、改正の手続きを厳格にしているのである。したがって、安倍氏のいう「過半数」への改変は、その時々の権力者の恣意を招きやすくするという意味で到底許されるものではない」 (小笠原猛「ちゅうおう」第29号)

* 「縛られた当事者(権力者)が『やりたいことができないから』と改定ルールの緩和を言い出すなんて本末転倒」 (小林節「毎日新聞」2014年4月9日)

単純多数決の危険性から

 中日新聞5月3日の社説では、さらに意味深い指摘がある。単純な国民の多数決による危険性にふれたものだ。

「たとえ、国民が選んだ国家権力であれ、その力を濫用する恐れがあるので、鎖で縛っているのです。また日本国民の過去の経験が現在の国民をつなぎとめる鎖でもあるでしょう」
「民主主義は本来多数者の意思も少数者の意思も汲み取る装置ですが、多数を制すれば物事は決められます。今日の人民は明日の人民を拘束できません。今日と明日の民意が異なったりするからです。それに対し、立憲主義の原理は正反対の働きをします」。

 ここで、憲法学者の樋口陽一教授の言葉を引いている。

「確かに国民が自分で自分の手をあらかじめ縛っているのです。それが今日の立憲主義の知恵なのです。国民主権といえども、服さねばならない何かがある。それが憲法の中核です。例えば13条の「個人の自由」などは人類普遍の原理です。近代デモクラシーでは立憲主義を用い、単純多数決では変えられない約束事をいくつも定めているのです」
「人間とはある政治勢力の熱狂に浮かれたり、しらけた状態で世の中に流されたりします。そんな移ろいやすさゆえに、過去の人々がわれわれの内なる愚かさを拘束しているのです」
「首相は96条の改正に手を付けます。発議要件を議員の3分の2から過半数へ緩和する案です。しかし、どの先進国でも単純多数決という“悪魔”を防ぐため、高いハードルを設けているのです。96条がまず生贄(いけにえ)になれば、多数派は憲法の中核精神すら破壊しかねません」

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※今月は、「立憲主義」と「単純多数決」の問題を取り上げた部分をご紹介しました。来月号の「その2」に続きます。