「語り継ぎ手」近藤さんから広がる平和の輪
愛知学院大学准教授  尋木 真也

                                           
 

名古屋空襲の戦争体験談

展覧会場の様子1

 2021年11月27日に、愛知学院大学法学部国際法ゼミの学生とともに、近藤世津子さんから、名古屋空襲の戦争体験談をお聞きしました。近藤さんは、私たちと同じ、戦争を知らない世代。戦争体験者の高齢化が進むなか、「語り継ぎ手」のボランティアとして、1年前に亡くなられたご勤務先の先輩でもある斎藤孝さんの戦争体験をお話しくださいました。
 「白線のスカート思う終戦日」、「爆弾の落ちてこぬ空運動会」。斎藤さんのこの2つの俳句に始まり、強がりつつも戦争に恐怖と辛苦を覚える斎藤少年の実体験が、近藤さんの物静かな語り口で、しかし臨場感にあふれる言葉で、つぶさに描かれていきました。焼夷弾に家が焼かれ、冷静な思考を失い、爪から血まみれになるまで硬い土を掘って鎮火にあたった遮二無二な姿は、私たちの脳裏にも鮮明に写り、鬼気迫る思いが伝心しました。巨大な防空壕づくりに携わっていた軍事基地で終戦を迎え、得も言われぬ安堵感に包まれながら電車で帰宅する斎藤少年。やっと家に帰れる喜びを誰にも打ち明けず、電車で財布をすられた事実にさえ平和の訪れを感じる少年の心は、当時のさまざまな社会背景を忍ばせているようでした。
 語りの途中で、斎藤さんご自身のビデオを拝見しました。実際の斎藤さんの人柄や熱意を見ることで、その後の近藤さんのお話に、直接話法的に聞き入ることになりました。そして、一連のお話をうかがった最後に、改めて2つの俳句。セーラー服で通学する女学生、戦闘機を気にする必要のない運動会。今では当然の日常が、尊い平和の象徴であることに、胸のつまる切なさも覚えました。

展覧会場の様子1

平和に向けた語り継ぎ手の意義

 私たちは、戊辰戦争や日清・日露戦争の体験談を聞くことはできません。第2次世界大戦についても、そのうちそういう時代が到来します。しかし、今ならまだそのお話を聞くことができます。まさに今、可能な限りたくさんの体験談をうかがい、それを伝播させていくことは、平和の維持・実現のために不可欠です。語り継ぎ手のみなさんは、その使命を果たしてくれています。1人でも多くの人に戦争の凄惨さを知ってもらうために、この草の根レベルの活動は、温故知新の重要な役割を果たします。
 語り継ぎ手の近藤さんは、伝えることの難しさについての学生からの質問に対して、戦争体験者の方の思いを引き継げば、伝えていくことはできるとおっしゃっていました。確かに、体験者の方しか伝えられないものはあるかもしれません。他方で、語り継ぎ手の解釈が加わることで、主観と客観が織り交ぜられ、1+1が3にも4にもなりうる相乗効果が生まれるようにも思います。語り継ぎ手自身の心に強く響いた戦争体験が抽出されることにより、より聞き手に伝わりやすく話が凝縮される効果もありうるのではないでしょうか。感情が論理的に構成された近藤さんのお話には、まさにその効果があらわれていました。

SDGsにおける語り継ぎ手の位置づけ

 2015年に国連総会で採択された「持続可能な発展(開発)目標」(SDGs)は、国家や自治体のみでなく、企業や1人1人の個人まで関与が求められる社会貢献の取組みです。環境、教育、ジェンダーなど、17の目標の達成が求められていますが、そのなかに「平和と公正をすべての人に」という目標16、そして「パートナーシップで目標を達成しよう」という目標17があります。平和の達成のためには、個人や団体が相互に協力することが重要となります。戦争体験者とのパートナーシップにより実現される語り継ぎ手やピースあいちの活動は、まさにSDGsの取組みの亀鑑といえるのではないでしょうか。



◆参加した学生の感想から◆

語り継ぎ手・近藤さんの話し方に引き込まれました。戦争の悲惨さを忘れないためにもこの語り部の活動を広めていくことが大切だと感じました。(20歳男性)

普段から自分も青い空が大好きで、自然を感じることがあたりまえにできる時代に、このようなお話を聞くことができてとても勉強になりました。(20歳男)

今回の話を聞いて、テレビや動画などで戦争の事を知っていましたが、戦争体験の人の話を聞いて、リアリティのある話だなと思いました。また斎藤さんの話にもあった戦争が終わった時の「家にかえれる」という感想もリアルと思いました。(19歳男性)

戦争体験を自分はしていなくても話をつないでいくことはできるので胸を張ってまわりに伝えていきたいと思う。(20歳男性)

青い空は自分たちにとって日常的であっても、斎藤さんにとっての青い空はとても輝かしいものであったと自分は思います。(20歳男性)