バトンタッチ◆戦争体験を語りつぐ・かたち 
ピースあいち語り継ぎ手の会(リボン)代表  中村 桂子

                                           
 

「私(※高1女子K)が通っている高校に、元日本兵日比野勝廣さんの沖縄戦の講話に来てくれませんか」 (※以下Kと表記します。)
「そして、その時に、何かお手伝いをすることはありませんか」
と、突然、明るい声が、私の耳元で響きました。私は2014年3月31日に37年間勤めていた教職の道を退職しましたが、Kは退職する年の教え子です。

 父が生きている(2009年逝去・85歳)時には、「自分の父が人を殺した兵士」とは言えなく、「父の沖縄戦」を語り継ぐことは全く行っていませんでした。しかし、退職する年には「この1年しかない」と決意して、道徳の授業で1年をかけ平和教育=「父、元日本兵日比野勝廣の沖縄戦の語り継ぎ」の実践を行いました。
 当時(小2)のKの感想文を見てみると、「戦場では、人間が一瞬で肉切れになることを知って、私は信じられません。でも、本当のことです。戦争のない、人と人の殺し合いがない国にしたいです」と、悲惨な戦場を認識することができています。そして、Kが6年生の時には外部講師として、「あなたに伝えたい戦争の悲惨さと平和の大切さ」というテーマで講話をすることができました。6年生のときには、「日比野さんの戦争体験をみんなが知ってほしい」と述べていました。
 その後、「サマーセミナー」やピースあいちが企画する「夏の戦争体験を聴く会」に積極的に参加、小2だった子が、高校1年生になりました。

 

 さて、冒頭のKの質問に私はどのように返事をしたのでしょうか・・? 実は、私は迷うことなく、「あなた自身で話してみたら。自分の言葉で伝えて」と提案しました。
 私が「自分の言葉で伝えて」と即答できたのは、私の背中を押してくれたのは、「ピースあいち戦後75年プロジェクト」の取り組みの一つ「語り継ぎ手ボランティア研修」の企画です。私はこの企画に参加して、『戦争体験者のみなさんの声を語り継ごう』という熱い思いに出会い、「戦争体験を伝えることの大切さ」を改めて認識したのです。Kからの「何かお手伝いすることはありませんか」の問いに、私は「戦争体験を伝える担い手になってもらおう。バトンタッチをしたい」と判断したのです。語り継ぎ手ボランティアに応募され研修を重ねられ、自分の言葉で伝えられている姿に感動した私があったから、即答することができたのです。

 

 Kの思いは、「自分が知っていることを自分のクラスの友達に伝えたい」という段階のもので、まだ、「戦争体験を語り継ごう」「語り継ぎ手のボランティアになろう」というものではありませんが、私が渡したバトンを受け継ぎ、元日本兵日比野勝廣の戦争体験を伝える活動を通して成長していってくれると思っています。
 Kの発表にあたっては、「兵士(=一人の人間)が肉片となって散って逝く戦場の悲惨さ」「一緒に死ぬのだと思っていたのに僕だけ生きて悪かったという日比野勝廣の想い」をどう伝えていいのか。聴いている友達が、戦場をイメージしやすいように。また、日比野さんの「生きる苦しさ」に寄り添えるように間をとって語るようにとアドバイスをしました。

展覧会場の様子1

同級生の前で「戦争体験」を語り継ぐ

高校生が高校生に伝える
 高校生(友達)の感想を見てみると
・ 戦争については、教科書に書いてあることでしか学んでこなかった。今日のKの話を聴いて、本当に大変な時代だったと実感できた。今日の授業のように、身近な友達が話すからこそ、平和がどれだけ大切なのか考えることができた
・ 今日、Kが発表したように人から人へと伝えていくことが、私たちができる平和の世の中にしていくための取り組みだと考える。
・ 戦争を「昔のこと」と片付けて忘れようとして良いわけがない。私たちが、戦争の悲惨さや苦しさを心に刻み、さらに、次の世代に伝えていかなければならない。
などです。また、K自身の感想は下記のようです。



 

 小2の時から、中村先生から「日比野勝廣の沖縄戦を語り継ぐことをバトンタッチするよ。バトンを受け取ってね」と言われてきた。そのバトンを受け取り、クラスのみんなに話を伝えることができた。私からのバトンがクラスのみんなに渡って、クラスのみんなから他の子にもバトンが渡ってどんどんバトンタッチが広がっていけばいいなと思った。
 体験者とか体験者のご家族の方がだんだんご高齢になっていくので、沖縄戦を知らない人が出てきてしまうかもしれない。それは絶対にダメだと思うので、どんどん語り継いで、戦争は絶対にダメということをいろんな人に伝えられたら嬉しい。

 Kや友達の感想から見てみると、この「高校生が高校生に伝える」活動を通して、語り手が聴いている子と同世代のため、先生や外部講師から難しい話を聴くという発想はなく、「Kはどんな発表をするのかな」というように親近感が生まれ聴きやすく、「戦争や平和」について考えるきっかけになったと思われます。そして、戦争のない平和の世の中にするためにどんな生き方をしていったらいいのか考えることができたようです。

 

 ピースあいちの語り継ぎ手の会(※リボン)が発足したのは4年前の2017年の9月です。私は常々「リボン」の活動こそ「戦争体験を語り継ぐ」=「バトンタッチ」そのものだと思っています。
 コロナ禍で、2020年4月より「リボン」は、残念ながら休会が続いています。2021年のこの10月に、「リボン」の事務局体制を整えて、また、戦後75年ピースあいちプロジェクトの取り組み=語り継ぎ手ボランティアの方々も仲間に入っていただき、再出発を目指しています。

 

※リボンは「戦争体験者の方々と戦争を体験していない私たちを結んでくれる」という思いからのピースあいちの語り継ぎ手の会の愛称です。