空襲体験者が担った平和運動を無に帰さない
◆『小史 熱田空襲を語り継ぐ平和運動のあゆみ』を作成
ピースあいち会員  加藤 良治(元・名古屋市生涯学習センター職員)

                                           
 



 名古屋市熱田社会教育センター(現・名古屋市熱田生涯学習センター)に勤務し、平和に関する社会教育事業に本格的に取り組んだのは国際平和年(1986年)の翌年です。
 当時名古屋市の社会教育センターは社会教育法上の「公民館」施設で、くらしや地域にねざした学習機会拡充が求められていたことから、1987年には、かつて熱田区内でおきた空襲(1945年6月9日に愛知時計など軍需工場の爆撃で多数の犠牲者を出した大空襲など)をとりあげ、空襲体験者の方々から体験談を聞き、平和について考える講座「熱田空襲を語ろう」を実施しました。

 
展覧会場の様子1

熱田空襲記念碑

 

 講座終了後には、空襲体験者の方々が「熱田空襲を記録する会」(以下「会」と表記)を結成。
 以降、「空襲体験記録集に自らの体験を投稿する」、「語り部として二度と戦争を繰り返さない思いを若い世代に伝える」、「空襲の証としての戦争遺跡(記念碑)の保存を願って声をあげる」等々体験者の方々のこうした主体的な行動が「会」の平和運動を発展させ、下記に示すような成果を生み出しました。
(1)多くの空襲体験者の協力をえて、熱田空襲の体験手記「紺碧の空が裂けた日―6.9愛知時計・愛知航空機爆撃体験手記―」を発刊したこと
(2)「1945・6・9空襲に関する米軍作戦任務報告書」を翻訳し、6月9日の警報解除の誤報の要因を明らかにしその真相を広く市民へ伝えたこと
(3)堀川護岸に存する爆撃跡の保存を市行政に提案し、堀川端の散策路にそれを熱田空襲の記念碑(下記の写真参照)として建立し得たこと
(4)熱田区内の小・中・高校生に留まらず、数多くの戦争・空襲非体験者に対して熱田空襲の事実を語り継ぎ、平和の尊さを考えあう多様な取り組みを行ったこと

展覧会場の様子1

 

 残念ながら近年、「会」の活動は停止してしまいました。筆者は、「このままでは成果を生み出した平和運動の実践、あるいはその実践に尽力された体験者の方々の真摯な姿や心意気を無に帰し忘れ去られてしまう。せめて記憶に残っている時期だけでも資料で裏づけ、『会』活動を記録に残せないか」と思い立ち、『熱田空襲を語り継ぐ平和運動のあゆみ~「熱田空襲を記録する会」の取り組みを中心に~』を作成することにしました。
 本拙著は、おおむね1980年代半ば以降2000年までどのような取り組みをしてきたのか、を社会教育施設職員の立場からまとめた記録、「学び」から始まった平和運動・小史です。(A4判で52ページ)。
 この小史の前半は、「会」の取り組みの経過、後半は、コラム<地域社会教育施設を拠点とした平和学習>、熱田空襲を語り継ぐ取り組みの略年表、熱田空襲に関わる新聞記事を掲載しています。特に前半では、社会教育の視点から、「会」活動発展の要因でもある「継続的な学ぶ・学びあういとなみ」及び「地域の公的社会教育施設(当時社会教育センター)との連携」について考察を加えました。なにぶん当時の関係資料が散逸し、収集した資料も限りがあり、決して十分まとめ切ったとはいえません。

 

 さて戦争・空襲体験者の方々の他界が年を追うごとに増え、実体験のある語り部が減少の一途をたどる昨今、非体験者の平和運動への関わりが大いに望まれます。筆者も小史の作成をはずみにして、微力ながら今後も引き続き戦争・空襲に関わる記録等を作成し、少しでも後世に伝える実践に取り組んでいくつもりです。