戦争の時代を生きた人の想いを引き継ぐ◆「戦争体験」堤茂子さんのお話を聞いて 
語り継ぎボランティア  田中 玲子

                                           
 

 私はピースあいちの戦争体験の語り継ぎ手で、勤労動員など若い世代の戦争体験を語ろうと考えています。そして戦争のことを知るために、時代背景や戦争に至る経緯を調べたり、戦争に関する本や体験談を読んだり、写真や映像を見て勉強してきました。自分とは遠いことを知識で補い、戦争に近づこうとしてきたのです。

展覧会場の様子1

堤茂子さんのお話を聞く筆者(右)

 今回、堤さんが冒頭に、「(自分の戦争体験を)分かってもらえないと思うと話せなかった。」と言われた時、私は堤さんの「分かる」の意味の重さを感じました。
 堤さんは、76年たった今でも、熱田空襲の空気感の中で、電線にぶら下がった人の体から流れ出るどす黒い液体、血まみれになりながら「おっかさーん」と大きく叫び倒れる中学生、血とどぶ水が混ざり合った強烈なにおい、血や泥や死体を踏んだ気味悪い感触などの諸々の様子を、まるで少し前に起きたことのように話していました。
 「分かってもらえない」という想いを乗り越えて語るのは生半可なことではなく、堤さんに同行された方は、「3年かけて話してもらえるようになった。」と言われました。「(戦争の)怖さが分かっている自分が逃げてはいけない」にやっとたどり着き、話してくれたのだと思います。

 

 しかし、堤さんは戦争の惨(むご)い状況を語るとともに、2人の男性が自分を引きずるようにして一緒に逃げてくれたこと、家に帰る途中で血と泥と油でドロドロになった体を洗い、ズタズタに切り裂かれた服を着替えさせてくれた女性たちがいたことも話してくれました。そして、豊かで恵まれた今を生きていることが有り難いとも言われました。
 堤さんは、戦争の残酷さと同時に人に対する気遣いや優しさの中で、その時代を生きていたのだということが実感できました。

 

 戦争体験を語り継ぐということは、「分からない」私が戦争の時代に近づいていくという難しいことですが、その時を生きた生身の人の想いを引き継ぐ、たいへん価値あることだと思いました。堤さんのお話を聞き、戦後長くたった今だからこそ、戦争を経験していない自分だからこそ、語り継げるものがあるという思いがいっそう深まりました。
 堤さん、お話いただき、本当にありがとうございました。