語り継ぎボランティア研修会◆5人が試演しました! 

                                           
 

 戦争体験の語り継ぎは、ほぼ30~40分で語る場合が多く、ピースあいち「語り継ぎボランティア研修会」ではその時間を想定して、画像や証言DVDなども活用して、各人が自分のシナリオの完成をめざしています。
 今回は、それぞれが進めているシナリオのなかで、最も伝えたいメッセージ、証言の中で一番心を動かされたものなどを中心に15分ほどにまとめていただき、実際に語っていただく「試演」にトライしました。まだ映像などは揃っていませんが、実際に“語る”ことを通して、構成やメッセージの持つ力などを考えるきっかけにしようというものです。試演の後には、参加者と意見交換をしました。
 今回もコロナ禍の中で、ピースあいちとZOOM、2つの方法での参加となりました。試演をしていただいたのは5人です。

展覧会場の様子1

澁谷 美子さん 「上野三郎さんの戦争体験―扶桑丸沈没・地獄の海から生還して」
 今年107歳になる上野三郎さんの体験を、上野さんご自身が描かれたスケッチ画を使って試演。「下を見てシナリオを読むのでは伝わらない」と、しっかり頭に入れて、真っすぐ前を見て語りました。
 

展覧会場の様子1

原田 貴之さん 「語り継ぐ被爆体験」
 「ついさっきまであった風景がなくなる、ついさっきまで一緒にいた人がいなくなる。一瞬にして地獄に突き落とされる。そんな経験をしたことがありますか?」という呼びかけから始めました。そんなメッセ―ジを、いつまでも決して癒えることのない被爆者の心と傷を伝えたいと語りました。

田中 玲子さん 「私が語り継ぐ戦争」 
 15歳の時、母と妹を空襲で亡くした父。父からは話を聞けませんでしたが、父と同じくらいの年の子どもたちの戦争体験は多く残っています。熱田区に住んでいるので、熱田空襲の証言(勤労動員の学生の)を語ろうと思います。

展覧会場の様子1

 

近藤 世津子さん 「スカートの白線が目にしみるー斎藤孝さんの戦争」
 「もの心ついた頃にはもう戦争が始まっていた。日中戦争が始まったのは小学1年生。中学に入ると本格的な軍事教練。2学期からは授業はなくなり、軍需工場へ勤労動員…」職場の先輩であった斎藤さんの体験を語り継いでいきます。

展覧会場の様子1

佐々木 陽子さん 「私のヒロシマ」
 母は当時2歳。祖父母と、曾祖父母とのいつもの日常があった8月6日。崩れた建物の下敷きになった祖父を無事だった祖母が引っぱり出した。曾祖母はいつもの和室で正座したまま首が吹っ飛んでいた。祖母の遺品の日記には、祖父の看病にあたった1週間(8月23日から30日)の記録が残されていた・・・。

◇参加者からは
・語りの中には「軍事教練」「焼夷弾」「すいとん」など子どもたちにわからない言葉あるので、用語説明を参考資料に配るのはいいですね。
・「なぜこれに取り組んだのか」、語り継ぎ手の思いもしっかり入れるといい。
・「祖母の日記から」というのはより身近であり、情景が浮かんでくる。家系図があるとよりわかりやすいのでは。
・加害のこともきちっと伝えることは大切だと思っている。自分のシナリオにどう取り入れていくか考えたい。
・お話を聞いていて、広島の高校生が描いた「原爆の絵」が浮かんできた。体験者のお話を聞いて「その時」を描いた絵。使えるといいなと思った。 など、さまざまな意見が出されました。

 次回7月の研修会でも新たに5人の方に試演をしていただき、意見交換をします。
 研修会は7月で終了となります。シナリオ作成にこぎつけられた方も、未だ語り継ぎの対象者や題材を絞り切れていない方も、進捗状況はそれぞれですが、その後は、ピースあいち「語り継ぎ手の会(愛称:リボンの会)」に参加していただき、戦争体験の語り継ぎ手として活動していただけるよう、引き続きサポートを続けていきます。