語り継ぎボランティア研修会◆シナリオ作りが進んでいます!

                                           
 
展覧会場の様子1

 昨年10月に始まった戦後75年プロジェクトの一つ「語り継ぎボランティア研修」は、これまで、語り手の方や語り継ぎの先輩たちから実演をしていただいたり、お話をお聞きしたりしました。また、講演会「語り継ぐということは」も行ってきました。
 そして、いよいよ参加者のみなさんがそれぞれテーマを決め、シナリオ作りへ進んでいます。今回は、シナリオ作りに着手しているお二人の方からお話を聞き、その後、グループに分かれて進捗状況などについて懇談を行いました。
 第一部は、澁谷美子さんと近藤世津子さんにお話を伺いました。

澁谷美子さん
 ピースあいち最高齢107歳の語り手・上野三郎さんの体験を語り継ぎたいと準備しています。「上野三郎さんの戦争体験 扶桑丸(ふそうまる)―地獄の海から生還して」(仮題)。

 

 はじめは戦争全般をと思っていたのですが、何年か前、介護施設で聞いた体験者の「生き残ったことへの自責の念はいつまでたっても心にある」という言葉が忘れられず、上野さんの体験を読んで、上野さんはどうなんだろうと思いました。上野さんをとりあげた新聞記事など多数の資料を読み、コロナ禍でリモートでの面談でしたが、上野さんから直接、お話を聞くことができました。

 

 上野さんは2度召集を受け、2度目の召集で乗船した扶桑丸が魚雷の攻撃を受けて沈没していく中で奇跡的に助かりました。
 「辛い思い出を話す気にはなれなかった。多くの仲間が命を落とし、自分が生き残ったことへの後ろめたさもあり80歳になるまで体験を話すことはなかった。」とおっしゃっていました。しかしその後、当時の記憶を水彩画と文章でスケッチブックに書かれています。
 90歳になってピースあいちの語り手として子どもたちに語られるとき、「戦争により、何も罪のない人達が目の前で尊い命を失くされていきました。さぞかし無念だったと思いますよ。また、ご家族の方々の悲しみも計り知れません。その想いをこれからの時代を担ってゆく皆さんにお伝えするとともに、平和な世の中を築いていただけることを願っています。」と締めくくっておられます。

 

 上野さんとお話しでき、シナリオ原案を作ることができました。水彩画やDVDで語られる上野さんの姿なども取り込み、シナリオを完成させたいと思っています。

近藤世津子さん
 はじめは、「女性の体験、地元のカテゴリーで」と考えていて、なかなか具体的な絞り込みができませんでした。4月の研修会でみなさんのご意見を聞いたり体験談集など読むうちに、「自分の知っている方」「ゆかりのある方」の語り継ぎをすることがいいのではないかと考えるようになりました。そこで、職場の大先輩で尊敬する斎藤孝さんの体験を語り継ぎたいと思いました。そこからは一気に作業が進みました。
 残念ながら斎藤さんは昨年亡くなられ直接お話を伺うことはできませんでしたが、DVDや新聞に載った斎藤さんの記事、俳句、エッセイ、そして語り継ぎを快く承諾してくださった奥様から貴重な資料をいただきました。「斎藤さん」と決めたら、吸い寄せられるようにどんどん資料が集まってきました。

 

 まず、斎藤さんの思い(子どもたちへ伝えたかったこと)は何かをまとめ、そこから全体の構成を考えることにしました。当時の時代背景や名古屋空襲についてもできるだけ資料を読み、戦時の日本の状況を踏まえる。聞いてもらえるような工夫(写真、絵、音などの活用)も必要と考えています。奥様ともお電話でお話をすることができ、しっかり取り組みたいという自覚が生まれ、5月に入り「構成案」をまとめました。

 

 5月中に第一段階のシナリオを完成させ、スタッフのみなさんのお力をお借りし、文章の絞り込み、静止画、動画などの収集、選択など行い、完成につなげたいと思っています。
 私にできるかなと思っていましたが、今は斎藤さんと一緒につくっていくという感じがしています。

 

 第二部は、参加者のみなさんから進捗状況をお話しいただきました。研修会では、ピースあいちにある資料の提供など具体的なアドバイスも行いながら、進めていくこととしています。
 研修会終了後には、語り継ぎボランティアの佐々木陽子さんから「私のヒロシマ」と題するシナリオ原案をいただきました。広島市安佐北区亀山の出身の佐々木さんが父と祖父、母方の祖父、祖母などから直接または間接的に聞き取った話と、それを補足するために調べた資料をもとに構成されています。