◆「記憶」をとどめるための「記録」
大学院法学研究科教授 丸山 雅夫

                                           
 

 これまで10年以上にわたって主にインターネットを利用して収集を続けてきた「第2次大戦の時期を中心とした戦時資料」の一部について、家の建て替えを機に整理し、ピースあいちに寄贈させていただくことになりました。
 第8回寄贈品展目録を拝見し、全部で122点もあったことに改めて驚いています。はがき等、紙媒体の資料が未整理のまま残っていますので、折を見て整理したうえで、今後寄贈させていただきます。

展覧会場の様子1

右側が筆者(寄贈品展会場で)

 

 戦後(昭和26年)生まれの私が戦時資料を集め始めたきっかけは、父親の逝去(2006年)にありました。父(次男)は、海軍通信学校を終了して、いくつかの航空基地で通信の教官をしており、内地勤務だったため特に悲惨な体験はしていなかったようですが、戦時中の経験を直接話してくれることはありませんでした。
 また、父の兄は終戦直前に南方で戦死したと聞かされていましたが、戦死公報が届けられただけで遺骨もなく、死亡時や軍隊生活の詳しい状況は全く分からないままでした。
 父の死後、遺品のアルバムを整理していて、写真によって父の軍隊生活の一端を知ることになりましたが、当時の社会の一般的な状況までは分からないままでした。もちろん、広島・長崎の原爆被害の状況や沖縄の「ひめゆり部隊」の悲劇などについては、オーラル・ヒストリーをも含めて、相当に多くの資料が残され、記録としても充実したものになっています。  そうした状況があるにもかかわらず、一般的な兵隊(軍隊)の生活や銃後の人々の日常などについては、まだまだ分からないままに放置されていることが多くあるように思われます。そこで、当時の状況を少しでも知ろうと思い、資料収集を始めたわけです。

 

 資料を収集し始めた当初は、定年後の時間ができた頃から独自に資料を分析していけば、遠からず一応の結論に達することができるだろうと「高を括って」いたのですが、徐々に資料が蓄積されていくにつれて、資料のまとめ方についての知識も経験もない自分には到底「歯が立たない」と自覚するようになりました。そこで、せっかくの資料を死蔵するよりは、しかるべき機関に寄贈して専門家(学芸員等の方)に活用していただくのが適切だとの結論に至ったわけです。
 そうすることによって、単なる「記録」にとどまっていた資料が、社会的な「記憶」としての意義を持つようになると思います。その意味でも、地道な活動を続けておられるピースあいちの皆さんには、大きな期待を寄せています。