企画展 「福島を忘れない!―被災地に寄り添って10年」にちなんで
河田 昌東(NPO法人チェルノブイリ救援・中部)

                                           
 
展覧会場の様子1

 

 福島原発事故から早くも10年が経ちました。ピースあいちでは毎年、この時期に福島原発事故に関する展示をしていただきましたが、今年度は私たちNPO法人チェルノブイリ救援・中部の活動を中心に展示してくださる事になり、心から感謝申し上げます。

 思い起こせば50年前の1970年3月、高度経済成長期の真っただ中に大阪万博会場に国内で初めて若狭湾から原発の電気が送られ、政府もマスコミも「これからは原発の時代」と沸き立ちました。核兵器はダメだが核の平和利用は良いと思ったのです。
 当時から原発には問題がある事が分かっており、「事故が起きたらどうなる」「放射性廃棄物はどうする」と一部の専門家は指摘していました。しかし、電力会社も政府、原子力の専門家たちも「事故は100万年に一回しか起きない、万一起きても原子炉は5重の壁に守られていて放射能は外に出ない」「廃棄物はそのうち何とかなる」と反論しました。
 それから50年、全ては嘘でした。事故から35年経つチェルノブイリ原発も、10年経った福島原発も、今なお廃炉の目途すら立っていません。その上、福島原発では処理できず溜まった大量のトリチウム汚染水を海に捨てる、などと暴言を吐いています。原爆開発や原発から出る放射性廃棄物の処理も、フィンランド以外はまだ世界のどこも実施できていません。

 この1月22日、国連の核兵器禁止条約が発効しました。広島・長崎の被爆者達の永年の努力によりその願いがやっと結ばれたのです。しかし被爆国、日本の政府はアメリカの核の傘を理由に批准せず、世界の人々に恥ずかしい限りです。
 世界の歴史から見れば原子力の時代は終わったのです。核兵器も原発も今や過去の遺物となりつつあります。しかし、原爆の被曝者とその家族、原発事故の被災者にとって被害は今も続いています。福島原発事故の後、「原発さえ無ければ」と自ら命を絶った福島の農家の声を忘れてはならないのです。
 電力会社や軍需産業と原子力産業が膨大な利益を享受する一方で、そのつけは全て後の世代に残す。これが核と原子力の真の姿だったのです。ピースあいちの皆さまも同じ思いではないでしょうか。

 

 放射能の被害者に寄り添い、平和な未来に向けて、私たちはこれからも活動を続けます。そのために福島の「油菜(ゆな)のさと」構想は小さな、しかし一筋の光になると信じています。