◆遺品に年齢はないから◆「伝えていこう戦争の記憶」第8回寄贈品展に寄せて
ボランティア(資料班) 宮坂 宥澄

                                           
   

 ピースあいち寄贈品展は毎年12月8日より開催されます。今年は早や8回目を迎えました。恒例となりましたピースあいち資料班主催による一年に一度の特別展示です。  

 戦後75年が経過しました今年は、2019年6月から2020年6月までの約一年間に寄贈された235点の新規寄贈品の展示となりました。
 実際のところ、収蔵作業をさせていただくなか、戦争体験者ご本人からの直接のご寄贈は年ごとに少なくなってきていることに気づきます。戦後75年とはいえ、第2次世界大戦中、日本軍が掲げた大東亜共栄圏における大東亜戦争、いわゆる太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年に生まれた人は早や79歳になります。さらに、開戦の年に徴兵検査を受けられた20歳の青年は2021年には100歳ということになります。
 このことを踏まえ振り返りましても、戦争は遠い昔の記憶となりつつあると言っても過言ではありません。しかも、この愛知県が壊滅的な空襲被害にあったということさえ知らない子どもたちが増えていることも事実です。

 

 ただ、私は仏教者ですから、この12月8日という日が来るたびにため息が出ることがあります。それは、この開戦の日は仏教の開祖である釈尊がお悟りを開かれた日、いわゆる「成道会」だからです。命の尊さと慈悲を説いた仏教を足で踏みつけての開戦だったのか。思いやりなどあっては戦争などできないということだったのか、というふうにしか思えてこないのです。
 明治維新の折に推められた天皇親政、国家神道、富国強兵の流れのなか、廃仏毀釈が興り多くの寺院や仏像が取り壊されました。そしてまた月日が流れ、太平洋戦争の端緒を切ったこの日(12月8日)は、「昭和廃仏毀釈の日」と言えるものだと私は思っています。これによって仏教は、国家の傲慢と暴走により身も心も破壊され尽くされたといえます。

展覧会場の様子1

寄贈品展の準備作業です。(左が筆者)

 今回の展示テーマは、表題の通り「伝えていこう戦争の記憶」です。毎年、資料班の活気あるスタッフによって、「ああでもない。こうでもない」と意見を出し合いながら決まります。日々寄贈品の整理収蔵作業をするなか、国家総動員法などにより戦争へと駆り立てられていった日本国民の悲哀と虚しい努力がひしひしと伝わってきます。
 日章旗をかぶりながら、千人針をお腹に巻いて戦地に赴いた兵士の姿に思いを馳せると胸が締め付けられます。そしてこれは敗戦への道を、かけがえのない尊い命を次から次へと失いながら突き進んでいった無謀な戦争だったのだと思うと、「そうだ。これらの数々の貴重な遺品が語る事実をできるだけ多くの人に伝えていこう。なぜなら遺品に年齢はないから、いつまでも伝えていけるだろう。私たち人類のこれからの幸せのために」と、資料班スタッフ一同は心から思うのです。
 さあ皆さん、こんな私達と一緒に寄贈品作業をしてみませんか。