首里城再建にむけて◆沖縄慰霊の日6月23日に
名古屋市立大学教授  阪井 芳貴

                                           
 

 6月20日にお話しする機会をいただいておりましたが、コロナ禍のために中止となり、その代わりにとのご依頼により、ここに小文をご披露します。

展覧会場の様子1

焼失した首里城正殿側から焼け残った奉神門を望む。龍柱が残っているのが痛々しい。(出典:沖縄タイムス 2019.11.4  撮影は11月1日)

 

 みなさまご存知のように、昨年10月31日未明に発生した火災で、首里城正殿・北殿・南殿をはじめ七つの建物が全焼した事件は、沖縄県民のみならず世界中に衝撃を与えました。いま、あえて事件と表現しましたのは、いまだに出火原因も防火体制や消火作業の検証も、そしてすべての責任の所在もが曖昧にされたままであるからです。
 私は、それらを追及する資格も立場も知識も持ち合わせませんから、そういう状況であるということのみ記しておきますが、すでに動き出した再建に向けて、それらの追及が欠かせないことは指摘しておきたいと思います。この小文では、多くの沖縄県民が衝撃を受け、涙を流し、心を痛めた、その背景にあるものは何か、についての私見を述べていきたいと思います。

 

 この事件後、「沖縄のアイデンティティの象徴」とか「沖縄県民の心のよりどころ」「沖縄の宝物」「沖縄の誇り」といった表現が焼失した首里城に対しておこなわれました。もちろん、それらはその通りだろうと思います。ただ、そういう認識を多くの県民が抱くようになったのは比較的最近のことなのではないか、具体的に言えば1992年の首里城復元前後から急速に広まっていったのであり、それ以前にはそこまでの認識はなかったのではないかと考えます。
 その理由としては、琉球国時代には王権の象徴・王国政治の中枢・国王の居所としての首里城は、首里那覇の人々以外にはほとんど観る機会もない存在であったこと、1879年の琉球処分によって主を失った首里城は日本軍の拠点や学校として変遷を経た末に荒廃し取り壊し寸前であったこと、その後1929年に国宝指定され1933年に修復されたのも束の間、沖縄戦で破壊された後は数十年間、県民自らの手では再建ができなかったこと、などが挙げられます。
 そこには、琉球国時代から1972年の日本国復帰後しばらくまでの間の、沖縄を取り巻く時代と社会の環境が大きく影響していたと感じます。今回の焼失を受けての反応の中に、宮古八重山の一部の人々から、先祖たちを苦しめた王国の象徴である首里城の焼失を心から悲しむことはできないといった言説があらわされたのもその一つですし、急速な日本化(皇民化)を受け入れざるを得なかった近代沖縄の位置づけ、アメリカ世(ゆー)における自治の制限などにより、首里城をどのようにとらえるかということを考えるいとまもなかったというのが正解だろうと思います。

 

 では、なぜ現在のように首里城が沖縄県民にとって「心のよりどころ」となっていったのでしょうか? そこには、沖縄県民の生活に余裕ができてきたことも大きいでしょうし、復元された首里城の無条件の美しさに多くの人が惹きつけられたことも大きいでしょう。いろいろと考えられますが、私は、最も大きな要因は、琉球文化の価値への目覚めと平和教育の普及にあると考えます。

 まず前者ですが、1980年代以降、琉球国時代の歴史文化に関する研究が急速に深まっていきました。古文書の読解や考古学分野での調査などの成果によって、琉球国時代の実相が一般の人々に理解されるようになりました。
 その中で、琉球独自の文化の存在感、その価値の重要さを多くの人が認識するようになり、また首里城復元の過程においてさまざまな琉球の工芸技術の繊細さと高度さに驚嘆し、先人たちに誇りを感じるとともに、その流れを受け継ぐ自らにも誇りをもつことができたことは特筆すべきだと考えます。つまり、首里城そのものが琉球文化の美の粋を集めた工芸品として認識されたわけです。

 

 後者はより重要な要因だと考えます。戦後、とりわけ復帰後に沖縄県内で平和教育が普及浸透していく中で、沖縄戦において日本軍の司令部が置かれた首里城が徹底的に破壊されたこと、その首里城はかつて琉球国を450年間も維持することができた交易による平和外交のシンボルであることを県民は学びました。
 軍事的拠点というより平和をつくる拠点であった首里城が、軍事拠点として利用されたがために破壊されたことに思いをいたすときに、沖縄の将来の発展のために平和を希求する県民の象徴としての首里城は極めて重要な存在として認識されるようになったと考えます。

 

 去る3月末に、首里城再建のための行程表が発表されました。それによると、2026年完成をめざし、22年度から着工するそうです。今回の再建が、半永久的に真に琉球沖縄の平和の象徴として愛される首里城の復元となることを心から祈っています。