古関裕而が驚いた福島のパンプキン
運営委員 金子 力

                                           
 

 NHKの朝ドラの視聴率も好調で、主人公古関裕而をテーマにした出版も続いているようです。たまたま手にした1冊の中に「おや!」と思うことを見つけました。古関氏の実家は福島市大町だそうです。生誕地記念碑から半径500m以内には福島駅、福島県庁、日銀福島支店、県警本部など、現在でも福島の中心地となっています。
 上京した古関氏はその才能を開花させ、活躍の舞台が広がっていきますが、政府の戦意高揚政策に協力するようになります。そのあたりのことは「流行歌で綴る昭和史」を今後検討してみたいと思っています。

 1945(昭和20)年3月10日と5月27日の東京大空襲でも古関氏の自宅は焼失を逃れますが、念のため二人の娘を福島市に疎開させています。福島市内は7月20日までB29の空襲を受けていませんでしたが、20日市内渡利地区に初めての空襲(結果的に福島市内の唯一の空襲となる)を受けます。
 実はこの爆弾こそ重量4.5トンの長崎型ファットマンと同型同重量の模擬原爆パンプキンだったのです。投下したのは原爆投下を任務として編成された第509混成群団に所属するB29でした。渡利の水田で農作業中の少年が犠牲となりました。

展覧会場の様子1

福島市渡利地区に投下された模擬原爆パンプキンの破片(長さ約50cm、幅約20cm、厚さ平均3cm/瑞龍寺所蔵)

 

 福島市内への空襲を知った古関氏は妻と二人の娘を福島市から県北部の飯坂温泉に避難させたそうです。渡利に着弾したパンプキンは1.4㌔離れた県庁の窓ガラスを割るほどの衝撃力がありました。着弾地と古関氏の実家との距離は約1.8㌔ほどでした。渡利に着弾したパンプキンの破片は渡利地区の瑞龍寺に保存されています。ピースあいちではお借りして実物そっくりのレプリカを作製、企画展「模擬原爆パンプキン―市民が明らかにした原爆投下作戦」で公開しています。