◆所蔵品から◆資料ナンバー9435 『映画之友』 1941年3月号の話
資料班



『映画之友』 1941年3月号

『映画之友』 1941年3月号

 皆様、お変わりなくお過ごしでしょうか。
 今月(2020年6月)より、ピースあいちは開館しています。
 資料班の寄贈資料登録の作業も久しぶりに再開しました。
 今月ご紹介するのは、昨年後半に寄贈を受けた雑誌『映画之友』です。
 表紙は「戸田家の兄妹」に出演の高峰三枝子さんです。
 裏表紙は化粧品の広告です。中身の広告も化粧品は多い。ということはこの『映画之友』は、女性の読者がターゲットということかしら。

『映画之友』 1941年3月号

『映画之友』 1941年3月号 「撮影所の新体制」

 映画スターのグラビア、撮影風景や楽屋の裏話、公開予定の映画の情報、評論のページなどの映画雑誌らしい記事もあるのですが、今回ご紹介したいのはそれ以外の、少し変わった視点の記事です。
 まずは、「撮影所の新体制」。
 1941年には、映画の撮影の現場にも「ぜいたくは敵だ」的な考えが浸透しているようです。昔のスターは車で通い、今は徒歩、というのが扉のページ。

『映画之友』 1941年3月号

『映画之友』 1941年3月号 「撮影所の新体制」

 小さい写真が「昔」、大きい写真が「今は…」という構成になっています。
 昔なら即デビュー、そろって写真撮影。今は「国家試験」があるので養成所で勉強、というのが右上の写真。
 役者さんに国家試験。映画法という法律で、試験に受からないと映画の製作にかかわれないことになっていたのです。
 そのほかの「今と昔」をご紹介します。
(右下)
昔:にぎわう大船まつり、俳優さんたちの仮装大会もあった。 今:産業報国会の名目も立派に撮影所の運動会。
(左上)
昔:銀座を歩く女優さんたち。 今:揃いの国民服で「映画報国の一路を邁進」の女優さんたち。
(左下)
昔:ロケの時は2台3台の大型ロケーションバスで。 今:電車で箱根のロケへ向かう。

『映画之友』 1941年3月号

『映画之友』 1941年3月号 「撮影所の新体制」

(右上)
昔:午後5時より撮影開始。夜間・深夜の撮影も日常茶飯事。 今:5時には仕事終わり。帰りのバスを待つ。
(右下)
昔:火鉢を囲んで編み物とおやつとおしゃべり。 今:暇さえあれば芸のお稽古。芝居だけでなく芸事も身につけねば。
(左上)
昔:街の美容院でパーマネントをかける時間も(今思えば)無駄なもの。 今:大日本国防婦人会の白だすきもかいがいしく応召者の歓送会に。
(左中)
昔:派手なセット、派手な衣装で、フィルムを「流すように使った」。 今:「フィルム飢饉で」、「ノオ・エヌ・ジー主義である」。
(左下)
昔:多くのファンに取り囲まれサインを求められる。 今:大日本映画俳優協会が結成され、「立派な社会人として雄々しく立ち上った」。

『映画之友』 1941年3月号 『映画之友』 1941年3月号 『映画之友』 1941年3月号

『映画之友』 1941年3月号 「擬音の世界」

 もうひとつご紹介したいのが「擬音の世界」です。
 扉ページにはDJのようにレコード盤の前で操作する男性(生でDJを見たことがないので違うかもしれません)。円盤やレコーディング・フィルムに録音した音を効果音に使う、という方法が当時の最新技術だったようです。飛行機の爆音、小銃、雑踏などに使われます。
 フェイクの音(擬音)を使うのを、物資不足による「代用品」にたとえているのも、時代が出ていると思いました。


 「カンバスのような荒く、厚っぽい布をかけて、」ドラムのようなもの(糸車です)をハンドルで回すと、「風の音・嵐の音」になります。
 「タイプライターの音」は、本物だと音が強すぎるので、「擬音発生器を考案」したのだそうです。
 「猛獣の吠える声」は、長ーい角笛のような、金属製の道具で。
 「汽笛の音」は、スーザフォンという楽器と、木製の四角い筒と、圧搾酸素管で作るのだとか。スーザフォンは、チューバみたいだけどラッパの口が正面を向いている楽器です。
 横長のかごのようなものに小豆を入れて揺すると、「波の音」になります。
 破れた傘に、「ジョロ」で水をかけると、「雨だれの音」に。
 竹で地面をたたくと「ひづめの音」になります。


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