◆敦賀の模擬原爆と戦災慰霊
木戸 聡 福井県立敦賀高等学校講師 

                                           
 

ピースあいちが臨時休館したため、4月7日(火)から開催予定だった企画展「模擬原爆パンプキン-市民が明らかにした原爆投下訓練」が延期になりました。今回は、企画展に協力してくださった方から投稿していただきました。



 1945年8月8日午前9時10分ころ、東洋紡績敦賀工場(現在は東洋紡敦賀事業所第1)に大型爆弾が投下され、東洋紡績従業員15人、学徒動員で来ていた旧制敦賀中学校生徒5人、旧制敦賀高等女学校生徒11人、敦賀高等女学校引率教員2人の計33人が亡くなっている。

展覧会場の様子1

パンプキン爆弾の被害者と法要の様子を報じた新聞記事

 この大型爆弾が模擬原爆パンプキン爆弾であったことが後に明らかになった。負傷者は76人という記録がある。被災者503人という記録があるが、学徒動員生も合わせて当日東洋紡績敦賀工場にいた人の数ではないかと思われる。

 

 現在も毎年8月8日前後に、敦賀市の永建寺で、東洋紡敦賀事業所主催により、模擬原爆犠牲者33人と、1945年7月30日に東洋紡績敦賀工場で艦載機攻撃を受け犠牲になった4人、東洋紡績で被災し戦後に亡くなった5人、計42人の慰霊祭が行われている。
 1984年までは位牌が東洋紡績敷地内にあり永建寺から僧侶が出向いていたが、1985年からは位牌を永建寺に移し、東洋紡から代表者が出席して慰霊祭を行っている。

 
展覧会場の様子1

敦賀市元町の永建寺の位牌

 1981年に戦災慰霊碑が敦賀市元町の本勝寺に建てられた。その裏面には、1945年7月12日の焼夷弾投下による死者109名、負傷し後日に亡くなった15名、7月30日の艦載機攻撃による死者15名、8月8日の模擬原爆による死者33名、投下された機雷爆発による死者14名と、敦賀在住で福井空襲などの犠牲者氏名が刻まれている。
 1985年には「敦賀空襲・戦災史」が刊行された。そのころは上田貞夫さんたちの市民運動として体験文や絵が集められたが、現在は所在がわからなくなっている。