講演会 「核兵器禁止条約で世界は変わるか?」◆川崎哲さんの講演を聴いて
ボランテイア  大久保 勝子

                                           
 

 2月8日(土)、企画展「原爆の図と大津定信展―核兵器のない世界のために」の関連イベントとして、ICANで活躍する川崎哲さんによる講演会「核兵器禁止条約で世界は変わるか?」が開催された。
 講演会の会場の設営の手伝いをしながら、この大切な地球レベルのテーマの講演を聴く心構えを考えていた。会場の中は、1時前頃から聴講予約者70人が次第に集まって来て早い出足だ。会場の空気に、いつもとは違う、ざわめきと緊迫感があるのを感じた。椅子に腰かけた男性が、「ふーっ!」と大きく息を吐いた。この方も、この講演を聴く心構えを整えているなと思った。

 川崎哲氏の講演の前に、「愛知県原水爆被災者の会」の理事長代理の金本弘さんが、1945年8月6日、広島での自身の被爆した状況を語り、自分は生後9か月だったが、姉が守ってくれた。その被爆した姉が亡くなる時、「私の娘時代を、もどしてほしい!」と泣きながら訴えたと語る時、金本さんは涙をこらえきれなく声が途切れた。
 あれから75年となる今でも、このような悲しみを心の奥に抱えて生きているのだと、体格の立派な初老の男性の深く悲しむ姿を目の当りにして、私は茫然とした。

 
展覧会場の様子1

 さて、本題の「核兵器禁止条約で世界は変わるか?」というテーマで、ノーベル平和賞を受賞したNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の国際運営委員、ピースボート共同代表の川崎哲氏の講演が始まった。
 初めに、戦争を実感として体験し次世代に伝えていかなければと思っている人達と、何も感じていない若者たちの間に生きている自分たちが、できる事をしようと決意したと語った。
 そして「核兵器の問題は、普段は国際ニュースの問題だと思いがちだが、本質は一人ひとりの人間の問題。人類の存亡に関わるものです」として、今あるNPT(核不拡散条約)との関係性や、核廃絶への新しい取り組みについて、「来日したローマ教皇フランチェスコが『核兵器は使用のみならず保有も倫理に反する』と言われたように核抑止論は、地域の不安定性を高めこそすれ、戦争を防ぐ効果はありません」と話された。
 2017年に国連で採択された核兵器禁止条約の条約批准国は今35か国、これを50か国に、また署名国を81か国から100か国にすれば、世界に拘束力を持つことができると考え、今年の目標は、それを達成することだ。今年2020年はとても大切な年。広島・長崎から75年、WW2終結から75年、国連創設から75年。私たちは核兵器禁止条約が発効するという見通しを持っている。世論調査では国民の65%が、核兵器禁止条約参加に賛成している。「日本のする事は、核兵器禁止条約に早期署名実行する事だ」と前を向いた。

 

 川崎さんの講演の後、「核兵器に反対する医師の会・愛知」の中川武夫事務局長のお話があった。「核兵器の非人道性に抗議をしたのは、初めは医師だった」と、生身の人間を守る医師の立場から語った。

 

 私は、広島、長崎の原爆の被災状況を知ることで、核戦争は有ってはならないという思いをさらに強くした。私も、「核不拡散のピンバッチ」を購入し胸に付けた。バッチは売り切れた。

 

●参加された方の感想は―

川崎先生の「核兵器禁止条約で…」の講演を聞きに来ました。その前に3階特別展の丸木位里・俊、大津定信展を見ることにより、核兵器廃絶の思いをさらに強くしました。(63歳男性)

核の保有、強力な軍事力をもっていることが平和につながらないということがよく分かった。日本が核兵器禁止条約に調印も批准もしていないというのはびっくりした。被爆国なのに!(19歳女性)

お話は100%納得です。どのように関わっていくのか、いけるのか考えています。

川崎さんが多感な若者の頃の中東での経験が今の活動のベースとなっていることを聞いて、核や戦争の非人道性を直接感じることの必要性、身近に感じる経験を自ら行うことーそれは高齢化の進む被爆者の話や紛争地のことを学ぶことをまずできる範囲でー。いつもの生活から一歩踏み出した思考へひろげていくことができるのかなと思いました。そして、今日聞いた話を家族や友人に伝えて、ICANの取り組みを支えていきたいと強く感じました。