ことしも《原爆の図》がやってくる!
ボランティア 丸山 泰子

                                           
 
チラシ

 2020年2月4日より丸木位里・俊「原爆の図」と大津定信展が始まります。今号では《原爆の図》についてご紹介したいと思います。
 《原爆の図》は、画家の丸木位里・丸木俊夫妻が描いた全15部の連作です。丸木夫妻は、30年以上の歳月をかけて共同制作《原爆の図》を完成させました(第15部《長崎》は長崎原爆資料館所蔵)。
 ピースあいちでは、2012年よりこれまでに4回「原爆の図」展を開催し、第1部《幽霊》、第4部《虹》、第5部《少年少女》、第8部《救出》、第11部《母子像》、第12部《とうろうながし》の6作を埼玉県にある原爆の図丸木美術館よりお借りして展示してきました。今回は、5回目で第2部《火》がピースあいちにやってきます。

 位里〔1901-1995〕は水墨画家で広島県生まれ。俊〔1912-2000〕は油彩画家で北海道生まれ。二人は東京で出会い、1941年に結婚します。
 1945年8月6日、広島に人類最初の核兵器、原子爆弾が投下されました。当時夫妻は、埼玉県の南浦和に疎開していました。「新型爆弾投下」の知らせを聞いた位里は、列車に乗って9日夜に広島へ到着します。実家は、爆心地から2.6キロメートル離れた三滝町にあり、両親や妹弟の家族など多くの親戚が暮らしていました。位里は、焼け野原になった街で、全身に火傷を負って苦しみ死んでいく人びとの姿を目の当たりにしました。やがて後を追って俊も駆けつけ、一ヶ月ほど広島で過ごしました。9月に入り2人は、東京に戻りました。1948年夏には、被爆の後遺症で苦しんでいた俊のために神奈川県藤沢市の片瀬に療養のため転居します。そしてある雨の晩、夫妻は、共同制作で《原爆の図》を描こうと決意します。原爆が投下されてから3年後のことでした。当時日本はアメリカ軍を中心とする連合国軍が統治していたので、原爆の話は一切タブーでした。このままでは、原爆のことが忘れ去られ、なかったことにされてしまうのではないかという危機感が丸木夫妻の中にありました。2人は家族から話を聞き、デッサンを重ね、絵の構想を練りました。こうして《原爆の図》が描かれたのです。
 1950年2月、最初の《原爆の図》(後の第1部《幽霊》)が発表されました。前年にソ連の原爆製造が判明し、年明けにトルーマン米大統領が水爆製造を命じるなど、本格的に米ソの核兵器開発競争が始まった時期でした。3月には、「最初に原爆を使用した国は、戦争犯罪者とする」というストックホルム・アピールが採択されました。6月には朝鮮戦争がはじまり、やがてマッカーサーが原爆使用を要請するという具合に、核兵器をめぐる国際情勢は緊張感を高めていました。広島・長崎という「過去」を記憶するとともに、やがて起こり得る「未来」の惨禍を見据えて《原爆の図》は誕生しました。
 絵は大きな反響を呼び、半年後、第2部《火》、第3部《水》が続けて発表されました。10月には、完成した《原爆の図》三部作の展覧会を広島で開催。それ以後夫妻は、三部作を背負って日本中を旅して回りました。当時は、屏風(びょうぶ)ではなく8本の掛け軸になっていました。もし万が一危険が迫った場合は、さっと巻いて逃げることができる。そんなことも考えながら、半ば命がけで全国各地で展覧会が開かれました。巡回展は、1953年末頃までには全国170カ所以上で開催され、170万人以上の人が観たことがわかっています。
 1953年6月には、俊が《原爆の図》三部作を携えて、デンマークのコペンハーゲンで開催された世界婦人大会に参加。ハンガリーのブダペスト国立美術館で国外最初の展覧会が開かれました。1956年、第10部《署名》が完成すると夫妻は、本格的に世界巡回の旅に出発。巡回展の旅の途中位里の母・スマの死の知らせを聞いた夫妻は帰国しますが、《原爆の図》は、その後も長い旅を続けて行きます。

原爆の図

丸木位里・俊/原爆の図 第2部《火》180×720cm(四曲―双屏風)1950年

 最近では、2015年被爆70年の夏に、20年ぶりに《原爆の図》6点が米国に渡りました。2016年秋からは、ドイツ・ミュンヘンで開催された展覧会に、《原爆の図 》2点が招聘(しょうへい)されました。そのいずれにも第2部《火》が展示されました。そして2020年《火》はピースあいちにやってきます。
《火》には、炎に焼かれてもだえ苦しむ人びとの姿が描かれています。もちろん丸木夫妻はこの光景を実際に目にしたわけではありません。芸術家の想像力で、爆心地の光景に迫ろうとしたのです。絵には、写真のイメージも取り入れられました。《原爆の図》を発表した夫妻のもとに、非合法の原爆の写真が送られてきたのです。二人は写真をもとに、炎に包まれる赤ん坊や、地を這(は)う老女を画面に描き込みました。
《火》は、どのように描かれたのか。《火》の制作の様子は、映像として残っているそうです。ギャラリートーク(2月29日)では、その辺りのこともお話していただけるのではないでしょうか。 

 

 昨年、《原爆の図》をもとに、詩人のアーサー・ビナードさんが7年がかりで制作した紙芝居が完成しました。タイトルは『ちっちゃい こえ』。猫、鳩、犬、じいちゃん、あかん坊、そして命の源であるサイボウ(細胞)たちが登場します。
「おおい! わしの 手を はなすな!」と叫ぶじいちゃんは、第2部《火》に描かれています。どうぞ、じいちゃんに会いにピースあいちにいらしてください。

 

参考文献:
図録『原爆の図 丸木位里と丸木俊の芸術』丸木美術館
『《原爆の図》のある美術館』岡村幸宣 著 岩波ブックレット
紙芝居『ちっちゃい こえ』脚本アーサー・ビナード 絵「原爆の図」より
『《原爆の図》全国巡回』岡村幸宣 著 新宿書房