ボランティア雑感◆「聞き手」の立場を思い「戦争体験語り」の工夫
ボランティア 森下 規矩夫

                                           
 

 ピースあいちで月1回の当番ボランティアと7歳の時、今のナゴヤドームの近くで空襲に遭った「戦争体験の語り手」をしている。
 昨年11月、広い体育館に生徒129人。今回は刈谷市の小学6年生に私の「戦争体験」を語った。
 館内は薄暗く、スクリーンの明るさと鮮明度も低くて、レイアウトもあまり工夫されていない。時々あることで申し入れて変更していただいた。それでも生徒たちの居る所は照明不足で会場の雰囲気がつかめなかった。
 視線と表情がわからないのは「語り手」にとっては不安な要素である。会場の様子をつかみ、反省の糧にできないからだ。おそらく他の「語り手」の方も同じであろうと思う。

展覧会場の様子1

自作の映像を使いながら子どもたちに戦争体験を語る森下さん

 さて、「語り」の内容については今までは基本的に変えていなかったが、今回初めてなぜ日本が戦争への道を進んでいったのかを話すことにした。議論のわかれる難しい問題だが、1995年に、村山首相が発表した政府の公式見解を根拠にした。
 また戦争を身近なものとして捉えてもらうために、学校の所在地近郊の空襲、軍需工場、軍事施設の有無を調べ、あれば「語り」に取り入れている。このたびは、米軍の資料を活用して、トヨタ刈谷工場、本社工場への爆撃と、旧海軍の依佐美送信所について語った。生徒の関心をどの程度高めたのかわからないが、自身の問題として考えるのに少しは役に立ったのではと想像している。

 時折、先生方に生徒が理解できない「単語」があると指摘されていたので、小学生用国語辞典にその「単語」が編集されているか確認をし、必要ならば補足説明をした。
 「語り」の方法はいつものように、パワーポイントを使い動画も活用して、可能な限り空襲、戦時中の生活を疑似体験できるように表現した。
 まず「語りを」聞いた生徒たちが、なぜ私が過酷な体験をしなければならなかったのか、戦争になると国民生活はどうなるのか、を理解してもらう。次に、同じ過ちを繰り返さないためには何をしなければならないのか、さらに、中学、高校----社会人と成長していくなかで、思考を深めて戦争とは何か、平和主義を守るためにどうすればいいのか、自分の頭で考えてもらう次元まで意識が高まってくれることを期待しながら語った。
 これからも、「聞き手」の立場を思い「語り」の内容、方法を見直し取り組んでいきたい。