◆戦災樹木の調査から◆戦争の傷跡を残す生き証人
戦争遺跡研究会世話人 清水 啓介

                                           
 

 『愛知の戦争遺跡ガイド』(1997年戦争遺跡研究会編)の中に、私が「豊橋被爆榎(ひばくえのき)」を写真入りで載せました。これは「豊橋空襲を語りつぐ会」からの情報で、当時は「戦災樹木」とは呼んでいませんでした。空襲で傷ついた木は、これしか知りませんでした。
 初めて見たとき、焼夷弾火災によって幹の根元から高い所まで裂けて、中が空洞で黒く焦げていることに目を見張り、戦後50年以上もそのままの姿で生き続けていることに驚きました。

展覧会場の様子1

プチギャラリーの展示を観る清水さん

 その後10数年たって、半田の佐藤明夫先生から、戦災樹木を調査したらとアドバイスをいただき、しっかり取り組むことにしました。東京の『戦災の跡をたずねて』(1998年 長崎誠三著)、『よみがえった黒焦げのイチョウ』(2001年 唐沢孝一著)がたいへん詳しく参考になりました。
 地元の『生きている文化財 なごやの名木』(1984年 名古屋市公園緑地協会)、『桑名の空襲』(1993年 くわな戦争を語りつぐ会)、『街も村も「戦場」だった』(1995年岐阜県歴史教育者協議会)、『岐阜も「戦場」だった』(2005年同上)など、多くの文献に当たりました。また、ネット検索からも情報を得て、東海地方の戦災樹木を実見してきました。

 調べていて分かったことは、戦災樹木が全国にたくさん存在しているということです。今までに379本見つかりました。そのどれもが戦争の傷跡を残す、まさに生き証人です。
 しかし、説明板が全国で29か所しかありません。樹木だけでは人に訴えることはできません。いつ、どうして、このような姿になったのかを知らせる説明板は必要です。
 現在、寺社や学校等の所有者が木に代わって証言しています。説明板とその木が受けた傷痕から、二度と戦争の被害を受けない平和の大切さを感じ取ることができると思います。樹木の強い生命力にも気づかされます。説明板によって、その木は本当に生かされることになります。
 説明板の設置と共に、樹木の保存と温かい見守りを通して、戦争の生き証人を忘れないようにしていきたいものです。