◆ボランティア雑感 ◆広島平和記念資料館を訪ねて    

                                              ボランティア  桑原 勝美

                                                
 

  広島平和記念資料館(以下、資料館)がこの4月に実物重視の展示へとリニューアルオープンしました。被爆者の遺品や原爆投下後の人々の写真、体験談、絵画などが被爆の実相を語ってくれます。さまざまな展示の中から、いくつかを紹介します。


 資料館の受付で展示ガイドをお願いしましたら、私一人のために60分コースのガイドさんが来られました。訪れたのが6月上旬の暑い日でもあり、汗を拭きながら、分厚い手作りの参考資料集を手に一生懸命に解説してくださいました。修学旅行の生徒さんが多数入館していて、彼らの間を縫うように進みました。
 随所に最新技術を駆使した展示が見られますが、その一つが原爆投下前後の街並みをCG動画で再現するものです。これは直径5mの白い立体市街地模型へ航空写真を基に作製した映像を投影する「ホワイトパノラマ」です。平穏な日常が一瞬にして失われる模様には、断片的な写真とは異なる迫力があって衝撃を受けました。

絵はがき

広島平和記念資料館のパンフレット

 強く印象に残った実物展示の一つは、黒焦げのご飯が入った弁当箱です。建物疎開作業に出かけたわが子を探して、母親が廃墟と化した市中を必死に歩き回り、原爆投下から3日後に弁当箱を大事そうに抱えた少年の遺体を見つけました。その弁当箱に刻まれた名前からわが子であることを確認した母親の心情はどんなであっただろうかと、胸が痛みました。
 また学生服を着た1体の人形は、3人の中学生の持ち物、つまり1人の中学生の帽子とベルト、別の1人の上下服、さらに別の1人のゲートルを合体して拵えられたとのことです。これらの資料は単なるモノではなく、少年たちがその日まで生きた証しなのです。遺品を寄贈されたご家族の皆さんの子どもさんに対する哀惜の念を想わないではいられません。

 

 ガイドさんが手持ちの資料集を開いて見せてくださった写真があります。一人の男性の肉体が被爆のために1か月後、2か月後と時間とともに変形し、3か月経過すると全く別人であるかのように容貌が変わり、ついに死に至る過程が分かります。原爆による放射能の恐ろしさを実感し、核兵器廃絶への思いを強くしました。 
 関連する貴重な展示の一つは、佐々木禎子さんの12年という短い生涯を紹介する一連の写真です。被爆した2歳の頃から小学校低学年の頃を経て高学年の頃までは、ごく普通の健康な少女であったことが認められます。9年後の秋に突如、原爆症を発症して以来、健康回復への祈りを込めて千羽鶴を折り続けた頃の様子を示す写真や、折り紙がないため小さな紙片から針を使って鶴を折ったという実物展示には感動しました。驚くほど小さな折り鶴が、原爆投下に抗議して絶叫しているようです。 
 佐々木禎子さんは原爆の子の像(制作:菊池一雄先生)のモデルと言われており、この像の下部に制作運動に感激した湯川秀樹先生の「千羽鶴」「地に空に平和」の文字が彫られた鐘、その下に金色の鶴が吊るされて、風鈴式に音が出るようになっているから是非ご覧くださいとガイドさんに薦められました。  現在平和公園になっている地域が、原爆投下以前は広島市の中心繁華街だったことを示す展示にも惹きつけられました。当時の写真から、この街はとても活気があり、人々の声が聞こえてくるような錯覚を覚えます。原爆は生活と文化を破壊し、尊厳と命を奪う暴力装置以外の何物でもないことが分かります。

 予定の時間を超えて100分もの間、熱心に解説していただいたガイドさんに厚く御礼申し上げてから、資料館の個々の展示が何を訴えているかを深く考え、戦争の不条理と平和の尊さを伝えていきたいとの思いを胸に、国内外からの大勢の入館者で賑わう資料館を後にしました。