ヒロシマを訪ねて
ボランティア 浅井 和子            

                                           
 

 10月27日・28日、「はたらく女性の中央集会」が広島で開かれるというので広島に行くいい機会だと参加しました。基調講演が広島にお住いのアーサー・ビナードさんでした。テーマは「“戦後”はつづくよ、どこまでも」。以前ピースあいちで講演を聞きましたが、その時よりリラックスしてお話しをされていた様子でした。

絵はがき

 

 ヒロシマを理解するために、ご自身の著書に登場する被曝した鉄瓶の持ち主が住んでいたところに立つマンションに住み、毎日原爆ドームに耳を見つめているそうです。そこは標的となった橋、相生橋近くだそうです。その中から生まれた絵本「ドームがたり」はなんと第23回日本絵本大賞に輝いたそうです。ピカッと光って、ドンと崩れた原爆ドームは世界遺産に登録されたのですが、登録の名前は「広島平和記念碑」なんですって。原爆ドームの世界遺産登録は反対する国があったという。「まだ戦後は終わっていません」と、アーサー。
 アーサーの日本語についての造詣の深さを教えられました。そして、日本語が難しいたとえを話されていました。例えば広島。廣島は昔の地名、ひろしまはもみじ饅頭? ヒロシマはアピールするとき…確かにノーモアヒロシマ…日本語は文字により印象変わりますよね。
 また、アーサーはノーベル平和賞を受賞されたボブ・ディランの絵本を日本語訳され、「forever young」を「はじまりの日」と訳しています。なんと素敵ですね!
 講演の後は、被爆ピアノ演奏と被爆体験を聞きました。

絵はがき

本郷 新作「嵐の中の母子像」。
ピースあいち2階にレプリカが置かれている。

 

 2日目はボランティアさんの案内でヒロシマの追体験、証言とモニュメントめぐり。「伝承でなく、継承していきたい」と言う言葉が印象に残りました。公園の中に点在する石碑の前で証言者たちが被爆体験を語っています。ピカが落ちた地点にお墓がありました。ピカを浴びた墓石を触って見ました。ザラザラは熱線を浴びた所、ツルツルは免れた所と説明を受け、より理解を深めました。工事中で掘り返されている地層を見ることができました。積み重なる土の層を見ると、黒い所は焼け跡、瓦礫も見られます。その上に土が重なり長い年月を感じます。
 「ここに原爆が落とされ街が焼かれたのです。平和の鐘には世界地図が描かれています。その地図には国境が無いんですよ」と、ボランティアさんが語ります。韓国の方の記念碑を乗せた亀さんは故郷の方角を向いていました。それぞれの石碑にはそれぞれの想いが込められているんですね。

絵はがき

佐々木貞子さんの碑

 

 原爆の子の像のモデルとなった佐々木偵子さんの碑もありました。2歳で被爆し、1955年発症し、亡くなります。「サダコ」の物語はヒロシマの悲劇の象徴として、日本だけでなく海外でも広く語り継がれています。10歳で被曝し60歳で発症した方々もいます。核の恐ろしさを感じます。空襲による建物の延焼を防ぐため、住宅が壊された後の瓦礫の撤去で周りの地域から、中学生や老人がこの日は広島にたくさん動員されたそうです。以前ピースあいちで見た映画「ヒロシマ」の場面が思い出されます。

絵はがき

 

 被爆したアオギリは移植された資料館の前に元気に枝をひろげていました。被爆したアオギリから育てられた苗木は、国内外で「被爆アオギリ二世」として育てられています。ピースあいちにも寄せられ、名古屋の平和公園で育っています。(長崎からおくられた「被爆クスノキ二世」とともに)

 証言者の切明千枝子さんは「あの時の戦争と同じ空気を感じます。だから私は行動します。どこにでも行きます。平和は守るもの」と語っておられました。平和について、女性の働き方について、語り合い行動し続けることが大切と確信し、元気を受けた集会でした。