来館者のみなさんとの交流も楽しみ
ボランティア 野田 隆稔         

                                           
 

 夏休みになってから、小学生から高齢者まで多くの来館者が来ています。ガイドをしたり、展示の説明をしたりしていると質問を受けたり、展示物の説明を求められたりします。
 その中で、いくつかの交流を紹介します。

 

 学校の宿題をするために母と子で、多治見からやってきた小学生がいました。
 学年は聞きませんでしたが、メモを取りしっかり見ていました。2階の名古屋の空襲コーナーでは、「どうして名古屋は空襲が多かったの」と質問を受けました。「どうしてだと思う?」と聞くと、そばからお母さんが「軍需工場が多かったからよ」と答えてしまいました。『焼場の少年』の写真の前では「お母さん、この子死んでいるの」と聞いて、じっと立ち止まって写真を見ていました。
 子どもたちの生活を知ってもらうために、木製の銃剣を持たせて、「小学校の高学年から、軍事訓練を受けたのだよ。これをもって匍匐前進(ほふくぜんしん)をしたのだよ」というと、匍匐前進の格好をとりました。匍匐前進という言葉を知っていることに驚きました。「風船爆弾は岐阜県でも女学生がつくっていたのだよ」と教えると、お母さんから、「アメリカに着いたのですか」という質問を受けました。この質問は多くの方から受けます。「9300個飛ばされて、約280個がアメリカ西海岸に届き、火事を起こしたり、爆発したりしましたが、ほとんど被害を与えませんでした。オレゴン州で風船爆弾の不発弾が暴発し、子どもたち5人と女性一人が死亡したという記録がのこされています」と説明しています。

 

 3階の「高校生が描いたヒロシマ展」を見に南知多からみえた4人の女性と話をしました。昨年も「いわさきちひろ展」を見に来たそうです。私や他のボランティアの共通の知人を知っておられて、地域の話題に話が弾みました。こういう交流も楽しいものです。

 「戦争体験の語りシリーズ」が始まっていますが、小学生で「3階の展示がこわいから見るのが嫌だ」という子もかなりいます。

 ボーイスカウトの子どもたちが3階を見てくれました。『後に生きる人たちへ』を見て、「どうして腕から皮膚が垂れ下がっているの」、『忘れられない~あの目』を見て、「どうしてあんな怖い目をしているの」と疑問を投げかけていました。リーダーの人が文章を読んできちんと説明していました。リーダーの姿勢に感動しました。

 

 また、高齢者の男性が「福沢諭吉の評価を知りたい、天皇家の財産についての本を知らないか」と尋ねてみえました。私は両方とも無知で、質問に答えられませんでしたが、福沢諭吉を研究している学者の名前を教えました。
 来館者と交流しながら当番をするのは楽しいし、勉強になります。




   

  ●来館者の様子

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