特別企画展「高校生が描くヒロシマと丸木位里・俊の原爆の図」によせて
◆一筆一筆キャンバスに絵の具を置いて
基町高校OB・東京芸術大学大学院生 富田 葵天            

                                           
 

 改めまして、このような機会をいただけたことをとても嬉しく思います。ありがとうございました。
 高校の時に参加した原爆の絵の活動が、7年ほど経った今でも私に様々な体験を与え続けてくれており私自身の作品制作を支えています。また、多くの人と触れ合い意見を交換することで常に多角的に物事を捉えることの大切さを感じております。

展示室


 この度のトークでは高校生の時に描いた原爆の絵についてと、現在ライフワークとして続けている戦争、平和に関する作品制作についてお話ししました。これまでも何度か人前でお話しする機会がありましたが、高校生の方や同年代の方が多くいらっしゃる場は初めてだったように思います。少しではありましたが高校生の方とも直接お話しできて嬉しかったです。
 丸木美術館の岡村さんや橋本先生、基町高校現役生の曽根さんにもこのような機会がなければ作品についてや感想などお聴きできなかったと思うのでとても貴重な体験をさせて頂きました。

 当日、ピースあいちさんに到着して館内の展示を拝見しました。原爆の絵10点をぐるりと見た後、原爆の図第11部《母子像》が目の前に広がりました。原爆の図はこれまでに何度か拝見したことはありましたが、同じ空間に私たちが描いた原爆の絵が並んでいることに不思議な感覚を覚え、また違った見方ができたように思います。
 原爆の図について詳しいことは知らなかったのですが岡村さんの解説をお聴きして、原爆の図が制作される経緯や丸木夫妻の葛藤などを知ることができ、また原爆、戦争を語り継ぐ制作者としての姿勢を学ぶことができました。継承活動を行う人の共通の悩みや葛藤を丸木夫妻も同じく抱えていたのだと、その葛藤に負けることなく常に立ち向かい続けていたのだと知りました。

展示室

「忘れられない~あの目」 足をつかむ手の位置やもう片方の手の色などで、この後どうなるかという時間の流れが表現されている。(広島平和記念資料館所蔵)


 継承し続けていくことはどうしても時間の経過と戦わなければなりません。また、本人の実体験であるのかないのかも受け取る側との間に壁を作ってしまう原因になりえます。実際に体験していない自分が語っていいのだろうかと不安になることもあります。最初の方に述べました、私のライフワークとしての作品制作でも同様の葛藤があります。しかし、発信する側も受け取る側もそういった継承することに対する認識を変えることが重要だと思います。
 私は継承するということはオリジナル(事実)から離れてしまうことではなく、人を介していくことで地層のように厚く深くなっていくことだと考えています。これは原爆の絵を制作したことで気付けたことです。被爆体験者のお話を聴き自分の中に取り込み、一筆一筆キャンバスに絵の具を置いていく。この行為一つ一つが継承を表している気がしました。丸木夫妻は多くの証言を聴き資料を集め、そして自分自身を介して絵を描き私達に遺しました。

 絵を見た感想を誰かに伝えることも継承の形の一つです。そしてそれぞれの形で、私は絵を描き作品を作り続けることで語り継いでいきたいと思います。
 最後に、原爆の絵をピースあいちさんで展示して頂けたこと、本当にありがとうございました。これからももっと多くの人に原爆の絵の活動を知って頂き、実際に見てもらって各々の継承活動へと繋がっていくよう私自身も活動して参ります。