ピースあいち「語り継ぎ手の会(リボン)」の発展を願って      
ピースあいち語り継ぎ手の会代表 中村桂子



加藤さんと堀田さん

中村桂子さん

 

「戦争は怖いよ」
「僕の沖縄戦の戦争体験を伝えてくれ」
 これは、私の父日比野勝廣(2009年7月29日他界 享年85歳)の最期の言葉です。この言葉が私の心を動かし、「あなたに伝えたい戦争の悲惨さ・平和の大切さ」をテーマにして父の沖縄戦を語り継いでいます。
 沖縄戦でも、あの特攻隊で有名な肉弾戦法が地上戦で行われました。敵の1台の戦車に、爆弾を抱えた兵士3人が飛び込んでいくのです。父は、その軍の命令を実行する人でした。飛び込んでいった兵士たちはどうなったのでしょうか。父が見た戦場の景色はどんなものだったのでしょうか。

 

 〇卵を床にたたきつけたように、骨1本も肉片もない。
 〇たくさんの兵の頭は飛び上がり、足は切れ、両眼は飛び出し、全身ただれている。
 〇今まで一緒にいたはずなのに、無数の肉片となって散り散りとなり、横のソテツの葉に服の切れ端とともにかかっていた。
 〇母親のお腹から赤ちゃんが飛び出し二人とも死んでいた。

 

 これらの光景が、「玉砕」したはずの戦地から生きて帰った兵士(父)を苦しませます。「忘れよう。忘れようとしてもふいっと頭に出てくる」とうなだれている父に、声を掛ける言葉が見つからなかったことを今思い出しています。「僕だけ生きて悪かった」「どうしてあんなに人を殺したんだろう」とうなされて「生きる苦しさ」は、戦争のない、平和な時代に生きる私たちには想像もつきません。
 父の戦争体験を一人(一つの家族)で語り継いでいますと、「私の父は多くの人を殺しました」と言っているように思い、戦争体験を語り継いでいく活動が辛くなる時がありました。

 

 さて、昨年秋(2017年9月23日)、ピースあいち「語り継ぎ手の会」(リボン)が発足し、私は、その代表を引き受けさせていただきました。皆様と出会い、皆様から、
 〇一人で頑張らなくていいですよ。皆で戦争の体験を語り継いでいきましょう。
 〇一緒に、子供たちに命の大切さを伝えましょう。
 〇平和の紙芝居を演じたいです。平和の大切を伝える本の読み聞かせをしましょう。
 〇今の学校教育では、平和教育が遅れていますよ。
 〇「戦争体験の語り継ぎ」を聴くことによって、今後どのような生き方をしていったらいいか考えるきっかけになればいいのです。
 ・・・等々と声を掛けていただきました。

 お一人お一人からの声掛けが、私に「皆さんと力を合わせて、戦争の体験を語り継いでいこう」「戦争体験のない世代が、先人の戦争体験を語り継いでいく大切な活動だ」※1と教えてくれました。そして、一人(一つの家族)だけで頑張るのではなく、互いに力を合わせて伝え合い、語り継ぐ大切さを痛感しました。

加藤さんと堀田さん

第2回例会 左から目崎さん 大山さん 中村さん

  

 3月24日、第2回例会が開催されました。その中で、語り継ぎ試演「『非国民』と罵られたサイパン帰りの少年」と題し、ご自分の戦争体験を語られた目崎久男さんが、ピースあいち1Fフロア-で、匍匐(ほふく)前進の実演をされた時には、頭が下がりました。戦争を知らない世代に真実を伝えようという強いメッセージがあり、心が打たれました。また「叔父・伯母から聞いた長崎原爆体験」の試演の最後に、大山妙子さんが演じられた「二度と」の平和紙芝居にも真実を伝える迫力を感じました。
 会が発足して、まだ1年も経っていませんが、少しずつ活動をし始めています。※2 皆様と力を合わせて語り継ぎ手の会(リボン)を益々発展させていきたいと願っています。


※1 戦争体験のない世代が、先人の戦争体験を語り継いでいく。世代を結ぶ=リボン。この意味から語り継ぎ手の会の愛称を「リボン」と呼ぼうと第1回例会で決まりました。
※2 語り継ぎの活動を活発化するために、語り継ぎ手の会(リボン)が、グループ化されています。朗読・聞き取り・映像・支援のグループがあり、各グループにリーダーがいます。