名古屋空襲から73年 空襲犠牲者追悼の夕べ◆ともし火法要に参加して
ボランティア  岩男  涼         

                                           

 

 先日、「名古屋空襲から73年 犠牲者追悼の夕べ」に参加しました。私は、昨年と続けて2回目の参加となりました。今回はイベント委員としての参加で、後半に行われる法要の準備を行っていたので前半に行われる朗読などは残念ながらほとんど聞くことができませんでしたが、法要自体は全て参加することができたので、法要についての感想を少し稚拙な文ですが述べさせていただきます。

展示室展示室

 この日は例年に比べて少し時期が遅かったこともあってか、まだ外が少しだけ明るい時間から行われました。法要の中で私たちは平和への祈りの火を灯します。火を灯すペットボトルのロウソク立ては全てボランティアの手作りで、一つひとつに人々の平和へのメッセージが書かれています。
 そして、火が全て灯り、法要が始まり、ご住職が読経を始めると、平和の火を灯した道を歩き平和地蔵の前で手を合わせます。その様子を私は感慨深く見ていました。今は美しく目の前で煌めき、平和を祈る「火」が、あの73年前の戦争で命も街も思い出も全てを奪い燃やし尽くすものになってしまったのかと。

 

 私は街を歩くと時々思います。この場所に焼夷弾の雨が降ってきたのかと。その途端に私は恐ろしくなります。そして思うのです。私たちは再びこんなに美しいはずの火で街や命を破壊してはいけないと。
 私たちの日常はあまりにも大きすぎる犠牲の上で成り立っています。多くの命がこの平和な日々を見ることなく戦火に倒れました。私たちはそれを忘れてはいけないのです。

 

 「決して忘れるな。私たちは見ている。」
 平和地蔵と平和を祈るために灯した灯火が、それを訴えているような気がします。