松本猛さんと巡った「ちひろの描いたトスカーナ」の旅                                              
運営委員  熊本 亮子



 夏の「ちひろ展」でツアーのチラシを目にした覚えのある方もいらっしゃるでしょう。10月にちひろさんのご子息で美術評論家の松本猛さんが同行する、いわさきちひろが巡ったイタリア・トスカーナの旅に行ってきました。
 松本猛さんは「ピースあいち」の講演会で、母ちひろの生涯、絵の魅力と平和への願いを語られました。心にスッと入り込んでくるあの温もりある絵。ちひろの水彩画は、輪郭線のないにじみの技法が特徴です。見えない線の画力に魅力があると私は一層惹きつけられるようになりました。
 1966年の3月から4月の約1か月間、アンデルセンの生地オーデンセやヨーロッパを旅したちひろ。行く先々で見聞きしたものをつづった絵葉書を家族に送り、スケッチ旅行はその後の絵本などにも大きな影響を与えたということです。フィレンツェでは夕日が沈むアルノ川を描き、トスカーナの丘では古城のある風景なども描いています。ちひろがイタリアで何を見て、何に心を動かしたのか、猛さんの案内でちひろとちひろが描いたトスカーナの風景に触れてみたいと思いました。
 フィレンツェ→アンギアーリ→アレッツォ→モンテプルチャーノ→トレクアンダ→シエナ→サンジミニャーノ。この旅程で知っている地名はフィレンツェだけ。初めてイタリアへ行く私には知らない所ばかりでした。イタリア旅行リピーターもあまり計画に入れない所だそうです。そこを松本猛さんの案内で巡るのは、またとない機会でした。

フィレンツェ ルネサンス美術
 ちひろは1966年4月15日、ヴェッキォ橋のたもとに立ちアルノ川の眺望をスケッチしました。松本猛さんは画集を手にして51年前の風景にさかのぼり、ここに立ち筆を走らせたちひろの視線を追って解説をしてくださいました。私に絵の心得があるならさっそくスケッチしたでしょうが、カメラで切り取った眺めを添えます。

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ヴェッキォ橋

 その後ちひろが訪れたウフィツィ美術館を、松本猛さんと現地在住日本人ガイドさんの解説でたっぷりと時間をかけて見学しました。14世紀以来、毛織物産業と金融業によって財力を付けたこの都市共和国は、町を支配した商人メディチ家の庇護のもと学芸が発展し、ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロなど、数えきれないほどの有名芸術家を育てました。ウフィツィ美術館にはメディチ家の膨大な彫刻・絵画・コレクションが収蔵されています。ルネサンス期を代表する美術にただただ圧倒されるばかり。
 ここで松本猛さんはダ ヴィンチ「受胎告知」で足を止め、「右手二の腕が少し長く描かれた聖母マリアは、作品の右側から鑑賞すると右腕が絶妙な遠近感をもたらして、正面から見た以上に奥行きをもって、見る人の目に映る効果があらわれる。」とパースぺクティブを解説されました。
 たくさん観た中でも大好きな「春(プリマヴェーラ)」を間近で見られて大感激!また、修復中だった「東方三博士 マギの礼拝」が甦って展示されていたのは幸運でした。世界各国からの旅行者が鑑賞するウフィツィ美術館は写真撮影OK。そんな人混みを、さして苦にすることなく本物との出会いをしっかりと記憶と写真に焼き付けました。

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ダ ヴィンチ「受胎告知」

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左:「春(プリマヴェーラ)」 右:「東方三博士 マギの礼拝」

 翌日向かったのは、フィレンツェから高速道路を南へ、アレッツォの町外れにあるレオナルド・ダ・ヴィンチ「モナリザの微笑み」の右背景に描かれたと言われている「ブリアーノ橋」です。

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ブリアーノ橋

 アレッツォへ向かうアルノ川にかかるこの橋は1267年に完成しました。そして、レオナルドは 1500年のはじめ頃にこの絵を描いています。その橋が750年経った今でも残っているのです。でも残念ながら工事中で歩いて渡れず、柵の外から解説を聞きました。

 次の目的地は、レオナルド・ダ・ヴィンチ幻の大作「アンギアーリの戦い」の村。レオナルドはフィレンツェ共和国政府から依頼され15世紀のローマ教皇軍とミラノ皇軍の戦い「アンギアーリの戦い」をフィレンツェのヴェッキオ宮殿内にある五百人大広間の壁面に描き始めました。が、制作途中で未完のまま放置され、さらに60年後、ジョルジョ・ヴァザーリにより、別のフレスコ画が描かれ、レオナルドの下絵は覆い隠されてしまいました。
 旧市街の路地は曲がりくねり、急な坂道や階段があります。これは、敵が一気に攻め入って来るのを防ぐためだそうです。

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堀文子さんのアトリエがあったヴィラ・アルベルゴッティへ
 イタリア中世の建造物の村を歩き回ってしばしのタイムスリップ後は、ツアーバスでトスカーナ丘陵の葡萄畑やオリーブ畑を眺めて走り、糸杉の立ち並ぶ先にヴィラ・アルベルゴッティが見えてきました。

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左:ヴィラ・アルベルゴッティ 中・右:堀文子さんの画集

 ここは、ちひろと同年生まれの絵本の仕事で同期だった日本画家の堀文子さん(99歳)が魅了され、1987年から滞在し創作活動をしたアレッツォ郊外の宿です。(ちひろは4月16日に丘の上の街「フィレンツェからローマへの道」をスケッチしました。)堀文子さんはいわさきちひろを特集した2012年の『芸術新潮』で、寄稿「私たちの時代」を書いていました。以下抜粋。

 

 「あの時代、自分流の絵を理解していただくのは無理で、出版物を通して未知の人々にふれたいと考えました。(中略)私は感受性が最もつよい子ども時代に目にするものこそ、最高のものを与えなくてはならないと思っていましたのでその理想に近づきたくて、絵本の仕事に取りかかったのを覚えております。(中略)あのころの女性はみな、男たちが戦場に送られ、殺されていくのを悲しみ、殺さずに生き残っている自分に後ろめたさを感じながら生きていたと思います。(中略)殺された若者たちのやりたかったことをしなくては、彼らに対して申し訳がたたないと思う気持ちは、私たちの世代の人間はみな、こころの奥底に抱えて生きていたのではないでしょうか。それは、いわさきちひろさんも同様で、あの方の場合は、この時代の戦争体験が作品の深みになっています。子どもをかわいく描くのではなく、哀しさや優しさがにじんでいます。柔らかな色や線の中から静かな風格が生まれ、温かな心情が胸に伝わります。」

 

 私がちひろの絵に惹かれたのは、そう、こういう事だったのかと、ひとつ分かったように思います。スケッチ旅行をたどる旅は、ここへ来て堀文子さんとちひろが繋がり、時代背景から生きよう、創作の芯を知ることになりました。

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アルベルゴッティご夫妻

 宿の主はアルベルゴッティ男爵家。突然の来訪にも関わらず、堀文子さんと関わりある日本からの客ならば、と快く歓待してくださいました。もちろん、松本猛さんあっての幸運でした。ここのワイナリー産の赤ワインをお土産にヴィラを発ちました。

 イタリアでちひろはアッシジやローマでもスケッチし、帰国後、アンデルセンの『絵のない絵本』を完成させました。童話と呼ばれながら人間の底知れぬ深みをのぞかせるアンデルセン作品をちひろは「アンデルセンの童話のもっている夢が、大変リアルであるということが、現代のわたしたちの心にもつうじるのであろう。」(「なかよしだより」455号1964年10月講談社刊)と記しています。実際に旅で目にして感動し、作画に自信を付け、アンデルセンのリアルさはモノクロの大人向けの絵本として仕上がったのでした。

 旅はまだ序盤。この後の「アグリツーリズモ」と呼ばれる田舎風滞在宿での松本猛さんの『ちひろ講座』、毎昼夜の食事に欠かせなかったワインやトラットリアのメニューetc. この続きはまた機会があれば。