平和に生きるということ
――「ピースあいち研究会」秋林こずえ教授公開講演会
   『基地の島に生きるということ:沖縄の女性平和運動から考える』
   を終えて――     
ボランティア  白井 文子



加藤さんと堀田さん
 

 「ピースあいち研究会」の9月例会は、公開講演会とし、ゲスト講師に秋林こずえ先生をむかえた。およそ30名の参加者と、時には笑いが起こったりしながら、和やかな雰囲気で会は進められた。質疑応答の時間には、数多くの質問が出され、時間ギリギリまでたっぷり使った、充実した講演会となった。
 企画のお話をいただいた時から信じられない気持ちでいっぱいだったが、先生が快く引き受けてくださり、多くの方々のご協力とご理解をいただいて、無事に実現することができた。講演会終了後には、ひとつの山を登り切ったような気持ちになった。そして、この講演会を機に、「女性と戦争・平和」に関して、興味を持ってくださった方々との継続的な学習の場を作っていけたら、と考えている。

「安全」を「保障」するとは?
 講演の中で紹介された、沖縄の「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」(以下、「行動する女たちの会」)そして、「行動する女たちの会」を含むアジア太平洋地域を中心とした国際ネットワーク「軍事主義を許さない国際女性ネットワーク」は、軍事力による国家安全保障に異議を唱え活動する、女性平和運動のネットワークである。現在、国際的に認知されている安全保障とは、「国家」のための安全保障であり、決して人間一人ひとりの安全を守るためのものではない。すなわち、国家間の紛争や敵対関係への安全保障しか問題にしていないのである。
 そして、その軍事的安全保障のもとに米軍が駐留する地域には、訓練や軍事施設による環境への影響、軍人による性暴力(=性犯罪、性売買)被害、先住民族への影響などの共通した問題が存在する。グアム・ハワイなど、長い植民地としての歴史があり、その上に駐留基地がある地域も少なくない。したがって、彼女たちの活動は、女性だから平和を望む、という「女性らしさ」にもとづく平和への希求では決してなく、植民地構造、軍人が訓練中に身につける性差別主義・人種差別主義構造を明らかにし、そこからの脱却を図るものである。似たような事例は、例えば英国軍によるケニアでの長期駐留など他国の軍隊においても存在しており、軍隊の持つその性質は変わらないと言えよう。

乗り越えるべき概念
 世界経済フォーラムが毎年出している、「グローバル・ジェンダー・ギャップ・レポート」によれば、2016年現在、調査対象国144か国中、日本は111位であった。教育、健康、経済、政治という4つの項目の総合的な指数でその順位が決定されている。日本に限らず、ほとんどの国で見られるのは、政治や経済界での女性進出の少なさと地位の低さである。しかしながら、これは単純に、女性の数が増えればいい、ということを伝えたいわけではない。そして女性が男性を支配するということも意味しない。一人ひとりが平等の権利を持ち、機会を持つためには、「女性」の視点や経験が取り上げられる機会が「男性」のそれと比べれば圧倒的に少ないことを意味しているのである。性別役割をもとに単純化された社会ではなく、多様で複雑な個人の集まりとしての社会に生きていることを認識し、お互いの個性をいかに生かし合っていくかを考え、「当たり前」に疑問を抱くことが始まりではないだろうか。一見難しそうに見える安全保障というトピックもそこから繋がっていると思えるのである。



≪参考文献≫
秋林こずえ「ジェンダーの視点と脱植民地の視点から考える安全保障」早稲田大学出版部『平和研究』第43号、pp.51-68、2014年。
リアドン,ベティ著、山下史訳『性差別主義と戦争システム』勁草書房、1988年。
  http://reports.weforum.org/global-gender-gap-report-2016/rankings/