ひとりひとりの意見      
金城学院中学 教諭  中田 路実



 今年1月にピースあいちにて、「金城学院中学3年E組 平和教室~東山動物園のぞうはどうして生き残ったのか」と題して中学3年生21名の意見発表をさせていただきました。発表時間は1時間ほど。想定していなかった長い発表時間に戸惑いながら、どのような発表をしたらよいだろうねぇと生徒と話しました。
  どうしようかと考えながら、修学旅行での取材をもとに1人1人が書いた『平和新聞』をもう一度読み直しました。すると、『平和新聞』の下書きを見た時には意識していなかった「同じものを見て同じことを聞いているけれど、1人1人の思うことがそれぞれ違う」という当たり前のことに気づきました。クラスだからといって無理にひとつの感想にしてしまうのはどうなのだろう?と感じた私たちは、それぞれに自分の思いを発表することにしました。少しご紹介します。

加藤さんと堀田さん

ピースあいちでの発表会(1月28日)

 

○原爆ドームを間近で見たとき、原爆を投下された様子が頭に浮かんできて、胸が苦しくなりました。その後、被害を詳しく調べていくと、被爆の影響は終わらないのだと知りました。
○原爆ドームは、特に悲惨でした。とても静かで悲しい気持ちになりました。きっとオバマ大統領も、よくわからない緊張感を感じ取り、心をうたれたことでしょう。そう考えると、少しだけ安心できました。
○原爆ドームのある現地に立つということは、大きな意味があると思います。書物や写真で勉強するのと、実際に自分の目でみるのとでは、感じ方が全く違いました。その場にいると、原爆が投下されたあの日の状況が想像できました。また、被爆によってなくなった方々の悲鳴が耳元で聞こえてくるようでした。私のこころの中には平和への強い気持ちが浮かんできました。これが現地を訪れる意味で、現職のアメリカ大統領が私と同じ気持ちをそこで感じたなら、世界の平和への道を加速させてくれるのではないかと期待しました。
○辛い経験に含まれる戦争。語って下さることにも勇気が必要であるということは、私が新たに学んだことで一番驚いたことでした。「あの日」のことを思い出すと、心が痛み、悔しさや悲しさがこみあげてくるはずです。それにもかかわらず、悲しみに耐え、後世に向けて「戦争をしてはいけない」と語り伝えて下さる証言者の方々に感謝しなければならないと思いました。
○私達に大久野島について教えて下さった山内正之さんは、80歳を超えているとは思えないほど力強い口調で、全身を使って私達に伝えて下さいました。とても悲しそうで、見ていてつらくなるときもありました。被爆された細川さんもお話の中でとてもつらかったのだなと伝わってくる場面がありました。自分自身も被爆をされながら、「水を下さい」と言われてあげられなかったこと、助けられなかったことを責めていました。助けられなかったのは、どうしようもないことだったのにもかかわらず、その時の自分の行動を責め続けていました。70年以上たった広島を見て、戦争は全てをこわし、傷つけ、痛みと傷しか残さないということを強く感じました。
○戦争によって苦しむのは人間だけではありませんでした。戦時中に、人間の勝手で動物たちの命を奪っていたことも事実です。苦しい状況下にあっても生きる事を、生かすことをあきらめてはいけません。恵愛祭では、展示の準備をしながら、継承することのむずかしさを知りました。心に残るようにきちんと正しく伝わるように気を付けました。ぞうの資料が少なくて、もしかしたら軽視されていた問題なのかもしれないと感じました。
○戦争によって苦しんだ人や苦しみ続けている人はたくさんいる。その苦しさは二度とあってはならない。そのための平和な未来を創るのは私達だ。だから私たちは「平和」と「戦争」について3年生でたくさん学び、それを自分たちが実現できるようにするんだ。でも一人じゃ簡単に「平和」をつくることはできない。世界中の人々で「平和」を実現しようとする人の力が集まったら世界を「平和」にするのは夢ではない。そのためにこれからも私たち未来をつくっていく人々は「平和」について学んでいくんだ。そして世界の中で、1人でも多くのピースメーカーが生まれるといいなと思っている。
○当時の憲法は理不尽でした。そのため自分の考えをアピールすることや平和的に話し合うことはとても勇気がいることでした。憎しみや恨みはいつか暴力となり、人を殺す材料となってしまう。人と話し合いをしたり、個人を尊重して接することによって、戦争は起こらなくなると思います。そして、正しい情報を集めることが大切です。平和的な未来を創っていくには、まわりに流されない自分の意思を強く持っていくことが大切だと思いました。
○私達は、戦争というものを体験したことがありません。 映像や資料、また証言していただける方からのお話から、その悲惨さや現実を頑張って知ろうとしています。広島では、事前学習で見たことのあるものもありましたが、実際に自分の目で本物を見ると比較できないほどに悲惨な物ばかりでした。ひとつひとつが心に突き刺さってきました。 修学旅行後には、平和新聞作成のためにさまざまなことを調べました。とても悲惨なことが多くて、私は調べたことを一生わすれることができないと思います。 しかし、実際の戦争の悲惨さというのは、私達の想像をはるかに超えたものなのだろうと思います。だから私は、戦争を知った気になってはいけないと思っています。かといって、「わからないから」「想像するのが辛いから」と戦争や原爆のことから目をそむけてはいられません。かつての現実にきちんと向き合うことが大切だと思っています。 そして、今の私達にできることはもう二度とあの悲劇を起こさないようにするということです。そうすれば未来の世界はよくなっているのかもしれません。私達は、今と過去のことしか知りません。だから、「過去」に起きたことを知り、「現在」起きていることを確認し、「未来」につなげることが大切だと思います。未来をつくることができるのは、今を生きている私達だけなのです。 私達の世代は平和を作っていかなければならないと再確認することができました。
○私達は、中学生になってさまざまなことを学んだり、経験したり、考えたりしてきました。 小学校の頃は「平和」と聞くと笑顔ですごす、楽しいことをするなどだと思っていました。もちろん、これらの事も大切ですが、中学校で戦争について、人について知るうちにそれだけではないと思い始めました。戦争は人が起こすことです。それをどう止めるか、どう繰り返さないかを人が考えること、人や世を嫌いにならないことが大切だと思いました。どうして人は言葉を使うのか、どうして感情があるのか。それは人に自分の思いを伝えるためだと思います。

 生徒たちは、自分の意見を学校の外で発表するということが初めてでした。発表中も、とても緊張していました。発表後に、観客の方が「それぞれの意見が発表されていて、よかったです。私たちのクラスはこう思いました、とまとめられていなかったのが逆に良かった」と言って下さいました。この言葉に生徒たちはとても励まされました。
 自分の意見を受け止めてもらったと感じた生徒たちは、これからも自分の意見を言う機会があると思います。また、異なる意見を受け止めることができるようになると思います。