「知られざる沖縄の真実 ハンセン病患者の沖縄戦」展へのいざない     
「沖縄展」企画チーム  阪井芳貴(名古屋市立大学教授)  



 

 復帰45年を迎えた今年の5月15日は、例年よりも沖縄の「本土」復帰の意味を振り返ったり沖縄の現在の状況について分析する報道が多かったように感じました。とりわけ今年目についたのは、ウチナーンチュとヤマトゥンチュの意識のギャップの指摘でした。本土メディアもようやくここまできたか、と感じる一方、それでもなおヤマトゥンチュにしみ込んだ イメージはそう簡単には払拭されないだろうな、とも感じます。
 同じことが、ハンセン病患者についても言えるのではないか、と思います。戦前にアメリカで開発された薬により、ハンセン病は治る病気となったにもかかわらず、きわめて恐ろしい病気だというイメージがこびりついている人々は相当いるのではないでしょうか。また、らい菌は感染力が非常に弱いにもかかわらず、また発症することも稀であるにもかかわらず、強力な伝染病であると誤解されている方もとても多いのではと危惧します。

表紙

沖縄米軍侵攻図

 今年の沖縄関連の企画展「知られざる沖縄の真実 ハンセン病患者の沖縄戦」を担当したスタッフも、必ずしも初めからハンセン病について正しい知識と理解をもっていたわけではありません。とくに、今回の展示の中心となる沖縄戦前後に沖縄のハンセン病患者たちがたどった苦難の歴史については、ほとんど何も知らなかったと言っても過言ではありません。しかし、一昨年の「ピースあいち 沖縄スタディツアー」で訪れた国立療養所沖縄愛楽園交流会館の展示から受けた衝撃を、なんとか名古屋・本土の人々に伝えたい、ハンセン病についての正しい知識と理解を持つことで理不尽で根拠のない差別や偏見をなくしたい、との思いから、半年以上かけて全員で一生懸命勉強してきました。その成果をぜひご覧いただきたいと思います。

 

 展示は、3部構成でできています。第一部は、戦前の沖縄のハンセン病をめぐる状況を概観します。国家による隔離政策と、それによりもたらされた悲劇について学びます。第二部は、愛楽園交流会館のご協力により、交流会館の展示「戦時下の愛楽園」をそのままお借りして、戦世のハンセン病患者が直面した悲惨な状況を観ていただきます。そして、第三部では隔離政策の誤りを指摘した小笠原登の紹介、今なお残る元患者への差別と偏見、国の施策の誤りを認めた裁判などについて知識を深めます。

表紙表紙

写真左:小笠原登医師
写真右:展示品より小笠原登の卓上日記
「生家である甚目寺の圓周寺で近年発見された小笠原登医師の日記です。らい患者についての警察からの問い合わせに対して「おそれなしと回答」したと書かれています。

 上述しましたように、今回の展示は愛楽園交流会館の全面協力のもとに初めて実現できたものですが、もうひとつ、ハンセン病政策の誤りを早くから指摘した愛知県出身の小笠原登の資料を、あま市および圓周寺のご厚意により拝借することができましたことも特筆すべきです。数々の貴重な資料から、沖縄戦の歴史の中に埋もれていたハンセン病患者の受けた差別の実態、国家がもたらしたハンセン病への偏見について、理解を深めていただければ幸いです。
 なお、沖縄慰霊の日の翌日6月24日には、愛楽園交流会館の展示や館内でのガイドに携わられた鈴木陽子さんをお招きし、「戦世の愛楽園 ―沖縄のハンセン病患者をめぐる差別・偏見・排除のかたち―」と題する講演をしていただきます。こちらもぜひご来聴くださいますよう、お願いいたします。