◆所蔵品から◆資料ナンバー2557その他 憲法ができるまでの新聞、そのほかの記事の話
資料班



 先月(2017年4月)は、日本国憲法ができていく途中の新聞記事をご覧いただきました。
 さまざまな憲法案の横に載っているそのほかのニュースもご紹介したいと思って、今回のテーマは、「憲法ができるまでの新聞に、同時に載っていた記事いろいろ」です。

朝日新聞1946年2月7日 「尼さん立候補」

朝日新聞1946年2月7日「尼さん立候補」

朝日新聞1946年3月25日 「婦選紙上教室」

朝日新聞1946年3月25日「婦選紙上教室」

 先月も少しだけ戦後初の総選挙についてご紹介しました。まずは選挙について。「大阪からも尼さん立候補」と、「婦選紙上教室」。
 女性の立候補者を紹介する記事と、投票の、というか有権者としての心構えを質問形式で紹介する女性向けの記事です。
 「婦選紙上教室」の「手習しても投票」の見出しの意味が最初はわからなかったのですが、中身をよく読んでみると、字が書けないので棄権してもよいか、という質問に、候補者名をかたかなで書けるように「手習い」して選挙に臨みなさい、と回答がありました。
 見出しには、「政治に謙譲の美徳は禁物」「政治に目覚める好機」「男性に追従するな」「選んだ人を監視せよ」「日和見主義を避けよ」と、背筋が伸びるような言葉が並びます。
 記事の中身でも、「人民の(…)、人民による(…)、(…)人民のための政治」「(それが)民主主義の根本の考え方」「人民という中には男子だけでなく女子も当然含まれている」と、かっこいい言葉が続き、なんだか勇気づけられました。

朝日新聞1946年2月17日 「選挙郵便異常あり」

朝日新聞1946年2月17日「選挙郵便異常あり」

 「選挙郵便異常あり」という記事もご紹介します。
 「戦災による諸機械、器具の焼失、資材の入手難、従業員の生活苦からくる退職者の続出…」などで、電報・郵便・電話などの通信は「機能失調ともいうべき状態」になっていて、今度の選挙大丈夫か?という記事です。


朝日新聞1946年1月19日 「火星から謎の通信」
朝日新聞1946年11月18日「火星も今が豊作の最中です」

朝日新聞1946年1月19日「火星から謎の通信」(左)
朝日新聞1946年11月18日「火星も今が豊作の最中です」

 続いては火星シリーズ。以前「火星の夢」という新聞の読み物をご紹介しましたが、前後してこんな記事もありました。まずは「火星から謎の通信」。
 火星が地球に接近するたびに、火星表面に幾何学図形が現れる。火星人からの通信ではないか、という内容です。
 上から、1879年、1892年、1909年、1924年、一番下が1939年と1941年の大接近で発見された図形だそうです。

 右の記事は、「火星も今が豊作の最中です」。火星の気候が良いと、地球の気候もこの後良くなり、地球も豊作になるのだそうな。

朝日新聞1946年1月28日 「火星文字の謎をこう解く」

朝日新聞1946年1月28 「火星文字の謎をこう解く」

 あとで、謎の図形の解読も出ました。
 「5つの図形は「シェイク・ハンド」(握手)を意味し、(…)平和的会合を求めてきている」
と。


朝日新聞1946年1月21日 「全国中等学校優勝野球大会 今夏から復活開催」

朝日新聞1946年1月21日「全国中等学校優勝野球大会 今夏から復活開催」

 火星でずいぶんスペースを使ってしまったので、あとはかけ足でご紹介します。
 「全国中等学校優勝野球大会 今夏から復活開催」。中学野球(のちの高校野球)が復活します。
 「(…)惨烈なる今次戦争によって歪められた若き心をスポーツによってその本然の姿に立ちかえらせるとともに野球を通じて民主主義精神の育成を助長し、(…)」というあたりが復活を決めた所以であると書かれています。


朝日新聞1946年1月9日「復興する金鯱城」

朝日新聞1946年1月9日「復興する金鯱城」

朝日新聞1946年2月5日「心斎橋の屋根の下 パリ式に新生する商店街」

朝日新聞1946年2月5日「心斎橋の屋根の下 パリ式に新生する商店街」

 復興、のキーワードで2つご紹介します。ひとつは名古屋城。もうひとつは大阪の心斎橋筋。
 名古屋城は「古図に照して鉄筋コンクリートで原型そのままに築城」「一、二階を公会堂、三、四階を郷土美術館、五階を展望台に」「問題の金鯱は木工に金のめっきをし、そのうえをガラスで覆う」
 心斎橋は「パリ式に新生」という見出しがついていて、説明のイラストもなんだかおしゃれに見えてきます。

朝日新聞1946年2月6日 「生きている原子爆弾」

朝日新聞1946年2月6日「生きている原子爆弾」

 最後にもうひとつ、「生きている原子爆弾 広島校外で放射能を発見」
 「理研」が10月に続き2度目の調査をしていて、爆心地から6キロ、広島市内の己斐(こい)で通常の3倍、40キロ西の大竹町で2倍、東にやはり40キロの呉(くれ)で1・5倍の放射能が認められた、という記事です。
 ピースあいちの今年(2017年)2月から3月の企画展「原爆の図と原爆の絵展」で展示された、広島の市民による原爆の体験画の中に、「己斐国民学校」「大竹国民学校」「呉市内」の絵があったのを思い出しました。


詳しい画像はこちらからどうぞ。
http://www.peace-aichi.com/pdf/20170522_sengoshinbun.pdf
(今月(2017年5月)は、ホームページのリニューアルがあるので、画像が見られるようになるのが何日か後になるかもしれません。ご了承ください。)

ピースあいちウェブサイトの、所蔵品の紹介のページからも、バックナンバーの関連画像が見られます。よかったらこちらもどうぞ。
http://www.peace-aichi.com/objects/