今月の「ピースあいち」◆来館者アンケートより           
   



「ピースあいち」10周年の5月、たくさんのご来館と「10年おめでとう」のお言葉をかけていただきました。毎日、みなさんが書いてくださったアンケートを読ませていただきながら、あらためて「ピースあいち」の存在の大きさを感じています。次の10年へ、新たなゴーです。

■アンケートより

ピースあいちにはその名の通り、平和への願いが切実にこめられていると思った。館内は目をそむけたくなるような悲しみのこもった展示ばかりであったが、ここに来なければ見ることもなかったものばかりでした。本当に来てよかった。館内に詰まっている平和への願いを、なんとかして館外にも広めていけないかと思う。(18歳女)

私は滋賀県から名古屋市立大学へ通っている1回生です。滋賀県では大空襲の体験をあまり聞くことなく、名古屋でこのような展示を見て、実際今自分が立っている場所が焼け野原だったのだな、とはじめて思いました。戦後こんなに豊かで安全に私たちが暮らしている世の中を一生懸命作ってくださった人達に感謝しますし、今後守りつづけていきたいと思います(18歳女)

3階の「10年のあゆみ展」では、加藤たづさま(86歳)からの「最初の電話メモ」(2005年4月25日)の的確な記載と、同人の自筆の手紙と年賀状より、そのお人柄がしのばれる感じがいたしました。また「希望を編み合わせる」というピースあいちのメッセージが、既に2007年2月に決定されていたことにも感動いたしました。1階の展示の中で、新しい平和の考え方⇒戦争がないだけでなく、飢餓や貧困、差別や核の恐怖がないこと→全く同感です。平和への努力のあり方⇒平和を希求するひとり一人の連帯の輪を広げていく→全くそのとおりだと思います。(73歳男)

名古屋の空襲について学ぶ機会がなく、ずっと知りたいと思っていました。自分の住んでいる町でおこったことを知ることで、より戦争について知らなければならないと強く思いました。若い世代が今、しなければならないのは、やはり本当の戦争について知ることです。多くの人にピースあいちを知ってもらい、より平和について考えていける地域・国になることを願います。(18歳女)

私も戦中派(昭和17年生まれ)なので、かすかに記憶がありましたが、これほど多くの品物が保存されているのには驚きました。戦争の悲惨さを忘れたくありません。(74歳男)

以前から来館したいと思っていました…やっと来れました!私は絵本の読み語りをしていて戦争関連の絵本もよく読みます。絵本を通して戦争の悲惨さを伝えています。「さくら」「わすれたっていいんだよ」「ぼくのこえがきこえますか」など、読み語りをしています。これからもたくさんの人に伝えていきたいと思います。

戦争で被害を受けた名古屋にクローズアップした資料がたくさん展示されていて、またわかりやすくまとめられていて、これだけの資料を集められた方々の努力がすばらしいと思いました。また、名古屋に限らず、広島の原爆や実際の遺品まで展示してあり、戦争を二度と行ってはいけないという思いが強くなりました。今の私たちに何かできるのでしょうか。(18歳女)

人々の心までも統制してしまうのが戦争の恐ろしさだと思いました。(18歳女)

18歳にもなって知らなかったことが多く、平和についての自分の考えもすごく浅いものだったな、と恥ずかしくなりました。戦争の記憶が薄れ、日本において戦争というものが縁遠くなっている今、この資料館を広め、残して行くことは重要なことだと思います。(18歳女)

戦争は歴史で学んだ出来事の一つでしかないけれど、今日さまざまな資料を見て、戦争や平和について考えるきっかけになりました。戦争の恐ろしさを知り、忘れずに生きて行くことが大切だと思います。(18歳女)

『なぜハトは平和の象徴となったのか』について研究しようと思います。1階の展示から、いわば戦争の道具として使われたハトがなぜ平和のシンボルになったのかもっと知りたいと思いました。稲田様、皆川様質問にお答えいただきありがとうございました。(18歳女)

知らないことが多すぎて恥ずかしくなりました。名古屋でもイラク戦争へのデモがあったことを知って、国際問題だからと言って何もしないのでなく、その場で自分なりのことができるのだと思いました。もっと詳しく知りたい、調べたいと思うことが見つかりました。(18歳女)

私はこういった場所に来たくないと思うし、見たくないと思う。こういった体験にふれると胸がぎゅっと苦しくなって、そこにいたくないような気持ちになるから。でも、そこから目をそむけてもいけないのだと思う。それは、かつて戦争を主導していた人たちときっと変わらないのだから。願わくば、私たちの次の世代が、こんな思いをするだけで、実際の感情として持つことがないように。(18歳女)

私は、ここからわずか徒歩10分のところに20年以上前から住んでおります。以前から気になっていましたが、開館10周年の今日初めて来館することになりました。お恥ずかしい限りです。現職の総理大臣が公然と2020年の期限を明示して日本国憲法の改正を口にする昨今は、平和の危機と訴えます。このような資料館はまことに貴重です。感銘を受けました。また来ます!!(56歳男)

小学生の頃広島に住んでおりましたので、戦争のことは他の人よりも知っているつもりでした。名古屋もこんなひどいことになっていたのに驚きました。子や孫にも「ピースあいち」を訪れることをすすめようと思います。(57歳女)

開館10周年おめでとうございます。とにかく「戦争」はダメですね。人的にも物的にもマイナスの事ばかりです。世界中でいまだに戦争が起こっています。やめたいですね。(58歳男)

現代の戦争について、展示を通じ国際的な問題を客観的に知ることができ、ニュースを見る視点が多面的になりました。(55歳男)

開館10周年おめでとうございます。関係者の方々の熱い想いと日々のご苦労の賜と拝察申し上げます。展示内容も素晴しく。“平和”“戦争”のことはもとより、名古屋城や名古屋周辺の歴史まで学ばさせていただきました。これからも、市民による平和教育・活動・研究の拠点として、存在感を増していかれますよう、お願い申し上げます。

今回は2階の展示をゆっくり、時間をかけて、当時の若い人達の証言(経験)を読ませていただきました。そして、反戦思想をもっておられた方々の強い意志に感銘を受けました。国家権力が増大しないうちに、反戦の輪をどうしたら広げられるか…祈りたい気持ちです。(69歳女)

名古屋に住んで長くなりますが、名古屋における戦争をキチンと見聞きしてなかったので一度「ピースあいち」を訪問し、知識を積み重ねたいと思っていました。余りの資料の多さに一回では無理でした。(63歳女)

正直、戦争のことは知っているようで知らなかったのだと実感させられました。歴史の授業などで学んでいたことは、全てテストのためだったりで、文字を覚える「作業」になっていたのだと知りました。今日、詳しく、多くを知り、恥ずかしさともう戦争になってほしくない気持ちになりました。来てよかったです。(20歳女)

私は1992年生まれで、第二次世界大戦やその他の戦争とは程遠い時代に生きています。初めてここに来させていただいて、改めて戦争というものの残酷さを感じました。残された遺品や人々の証言を見ると、やはり戦争というものは、人々の心の中に強く刻まれるものであるのだなと強く感じました。私も今大学で国際関係について学んでいます。私たちの世代から平和に向けてできることを考え、世界に向けた行動をしていけるようにしていきたいです。(18歳女)

きっかけは大学のレポート作成のためでしたが、来て良かったと思いました。感じるものや疑問に思うこともたくさんあって、知らないことがたくさんあったし。まだまだ知らないことが多くて、良いきっかけをもらうことができたと思います。私のような若い人にたくさん知ってもらうべきだと強く思いました。(18歳女)

行政との話し合いの中でNPO法人設立。結局市民からの寄附で設立・運営から維持管理までされているのはすごい(すばらしい)と思います。新聞のラックに中日新聞とならんで、琉球新報があったのが印象的です。10周年おめでとうございます。(56歳男)

中日新聞夕刊記事を見て、ピースあいちを初めて知りました。自分も5月14日名古屋城と同時に当時住んでいた家を焼かれた記憶があり(当時4歳)、母に背負われて防空壕に避難して生存したものです。その当時の情景が今でも鮮明に思い出されます。(76歳男)

行政へ資料館建設を求める運動の中で貴重な協力者のもと民間ボランティアの力で開館、維持され、県の「博物館」指定も受けるほどの実績を積んだ10年の歩みに感謝と尊敬の念を禁じ得ません。今こそ、この生きた展示が子ども・若者らに大いに学習チャンスとして活用されますように。愚かな歴史をくり返してしまう人間の歩みを総合的に学んで、英知に結晶させ平和憲法を生かす世づくりにつなげたいと思います(73歳女)

小さなスペースによくまとまった展示がされており、感心しました。説明文の英文化がすすめられることを希望します。「終戦」にスポットをもう少し大きくしてもよいのではないでしょうか。戦艦ミズリーでの調印式、日本の世界平和への取り組みなど、よろしくお願いします。(59歳男)

被害者のリアルな話があって、現実味があった。残っているモノが多くてよいと思った。(18歳女)

以前ピースあいちができてすぐの頃来ました。展示物・文書などたくさんあり、とても見きれなかったので、再び来たいと思い…今回10周年のあゆみに来ることになりました。5年前に亡くなった母が、名古屋空襲のことを口にしたことはありましたが、大変さは聞くことはありませんでした。話せなかったのでしょうね。今回名古屋空襲のパネルをじっくり見させてもらいました。体験者の証言はとても貴重ですね。自分のイメージできる範囲ですが、生々しく、つらいですね。後生に伝え続けること、大切ですね。応援したいと思います。(59歳女)