◆ボランティア雑感 ◆笑顔   

                                                ボランティア 東野 裕子

                                                
 

 「この写真、東野さんの若い時にそっくり」と言われた。私はすぐに「この写真の子はダウン症よ」と切り返した。言った本人は少し悪かったような顔をして、「でも、この笑顔、とても良い笑顔だよ」とつけ加えた。
 障害者の作業所に勤務している知人に頼まれてー障害者の権利条約を地域のすみずみにーという請願書の署名をお願いした時の出来事である。
 その請願書の内容が書かれているそばに、笑顔で働いているダウン症の子の写真があったのだ。

絵はがき

笑顔こそ!

 一生懸命働いている若い女の子の写真が私に似ているとほめてくれたのだ。しかしながら。それを私は即座に「ダウン症・障害児」という言葉で否定したのだ。即座にそのような言葉が発せられた自分を恥じた。どうして出てきたのかと自問もした。
 まずは、43歳のダウン症の子を持つ友達に事のいきさつを話した。彼女は「大昔はダウン症という言葉にこだわりがあり、差別的に聞こえた時もあったけど、今はそのダウン症の息子にいろいろ助けてもらって生活しているよ」と明るく答えてくれた。

 次に思い出した事がある。小学校の担任の先生が「君にそっくりの女の子の映画を見たよ」と言われた事。その映画はイタリア映画で『道』である。その映画の主人公は「頭の弱い」女の子であった。美しい女優が演じていたので特別な反応もなく、私を意識してくれたことに少しうれしかった事を覚えている。  「東野さんの天心らんまんさや、純真無垢のところは天性で、教師は天職だね」と、つい最近、私よりずーと若い人に言われた。半分うれしく、半分は、少しおばかなのかと思った。「東野さんの笑顔大好き」「笑顔すてきです」とたくさんの人にほめていただく。少し、いやだいぶ能天気な私である。それが笑顔に連なり、好んでもらえるなら、とてもうれしい事だ。

 最後に、請願書のダウン症の女の子の笑顔も私の笑顔も一生懸命生きようとする時は、とてもいい顔なのだと認識した次第である。
 ピースあいちでも笑顔でご来館のみなさんをお待ちしています。