2016年・映画雑感   
ボランティア 長谷川 保郎  



 2016年もたくさんの映画を観ました。そのなかから「戦争」に関する作品でなるほど、と思えた作品をいくつか…

「みかんの丘」と「とうもろこしの島」
 2つは全く別の作品だが、共に“世界は閉じたままで、いまだに出会うことがない”という副題がついていた映画。私はこの副題が気に入った。
 みかんととうもろこしをつくるお百姓さんが、戦争で戦う両軍どちらの兵も傷つけば治療し、逃げてくればかくまってあげる。戦争の中でもお百姓さんは、自然を相手にひたすら作物を作り続ける。どちらかの軍を応援するわけでもない。それを観ていると“戦争って何?”と思えてくる。副題のように、互いが閉じたままでは争いは起こる。このお百姓さんのように、もう少し寛容になれば争いもなくなるのでは。

「ある戦争」
 アフガニスタンの平和維持で駐留するデンマーク軍の部隊長は、仲間を守るため、攻撃してくると思われる地区の空爆命令をする。その結果、子どもを含む11人の罪のない民間人の命を奪ってしまい、自国で軍法会議にかけられるというもの。
 戦争責任をどこまでも問い詰めるデンマークという国。一方、敗戦が濃厚になると証拠を燃やしてしまい、そんな事実はなかったと言い張る国と、この差って何?私には一人の人間がまっとうな人間として生きていく覚悟・責任、人権をどう考えるのかということと深く関わっている気がする。

「いしぶみ」
 広島1945年8月6日の朝、広島二中の一年生321人が本川の土手に集まっていた。500m上空で閃光が輝いた瞬間、ほとんどの生徒が亡くなった。昨年ボブ・ディランがノーベル賞のスピーチ(代読)で「私は5万人の前で歌ったことも50人の前で歌ったこともある。5万人はひとつの仮面になるが、50人はひとり一人がそれぞれ違ったアイデンティティ・言葉を持っている。50人の前で歌うことの方がむずかしい」と語っていた。
 「いしぶみ」出演の綾瀬はるかさん(綺麗だから好きなのだが)が、一瞬にして亡くなったひとり一人の性格や生いたち、その日の様子を語り、生身の中学生を浮かび上がらせる。広島に落とされた原爆で10数万人が亡くなったといわれている。ひとつの記憶・記録としてその数を心に刻むことは重要なことだが、アイデンティティを持ったひとり一人として記憶することが大切なことなのだと思う。

 映画っておもしろいと思う。戦争物に限らず、いろいろなジャンルの映画を今年も観に行こう。