◆常設展示から◆黒人差別撤廃運動     
ボランティア 桑原勝美



絵はがき
 

はじめに
 1階『現代の戦争と平和』コーナー上段中央部の写真は、「黒人差別撤廃運動」を進めるマーティン・L・キング・Jr. 牧師(以下、キング)と多くの支援者の様子を示す。これは米国におけるアフリカ系米国人(黒人)が、白人と同等の権利を求めた公民権運動のひとコマである。

奴隷解放・人種差別 
 この運動より100年ほど前、南北戦争(1861‐65年)の最中にエイブラハム・リンカーン大統領は「奴隷解放宣言」を行った(1863年)。しかし、その後も参政権を始め、教育、裁判、医療などを公平に受ける権利や図書館、公園、交通機関、食堂などを白人と区別なく利用する権利が州法により認められないなど、黒人への人種差別が解消されることはなかった。

差別撤廃運動 
 キング自身が若い頃から受けた数々の屈辱体験をバネにしつつ、インドのマハトマ・ガンジーの非暴力的抵抗の思想を拠り所にして、差別撤廃運動の先頭に立った。この運動の過程で、黒人の生活水準が低い根本的な原因は人種隔離体制だと訴え続ける一方、大衆の貧困、疾病、無教育に対して真正面から取り組むことによって、黒人の生活水準を改善する必要があると考えるに至った。

大行進・演説 
 キングがこれらの考え方を実践しようと、リンカーンの奴隷解放宣言100年を記念するワシントン大集会を企画すると、肌の色に無関係に20万人以上の支援者が首都へ向けて大行進をした(1963年)。リンカーン記念堂の前で、キングは良く知られた演説『I have a dream! (私には夢がある!)』を行い、人種差別撤廃と人種間の協和という理想の実現を訴えたのである(冒頭の写真)。

公民権法制定・平和賞 
 キングの粘り強い運動は、州から州へと支持を広げ公民権を獲得していった。この運動に前向きなジョン・F・ケネディー大統領が暗殺されると、後継者となったリンドン・B・ジョンソン大統領が積極的な支援を行い、ようやく公民権法が成立した(1964年)。奴隷使用禁止条項が憲法に記載されてから99年後のことである。同じ年に、この運動の理念と実践活動が高く評価され、キングにノーベル平和賞が授与された。

キング暗殺 
 法律はできても、人種差別が解消したわけではなかった。キングの非暴力的な運動に賛同しない一部の黒人の声が強くなる一方、白人による極端な差別運動も続けられていた。こうした状況の中、キングはテネシー州メンフィスで自らの人生の終末を予見するかのような演説の後、友人宅で打ち合わせ中に白人男性による一発の銃弾に倒れ、39年の短い人生を閉じてしまった(1968年)。

おわりに 
 キングが取り組んだ人種差別撤廃運動は、女性の地位向上運動や平和運動などへと輪を広げ進化し続けている。その中で、公民権法の施行による法的側面からの人種差別撤廃の運動を非暴力的手法によって大きく前進させ、貧困はもとより貧困に由来する疾病や教育の遅れなど、米国社会の陰の要素に光を当てて黒人の生活水準向上に尽力したことなど、キングの功績は計り知れないほど大きいと言えよう。