◆ボランティア雑感◆「戦争の加害者」    
 ボランティア  宮坂 宥澄



 過去と未来の狭間に
 ピースあいちの1階では、戦争と平和運動の歴史が時系列に展示されている。また、戦争関連図書も多数置かれ、常時さまざまなイベント行事が行われている。2階では愛知県下の空襲展示に始まり、十五年戦争、命の壁写真コーナー、戦時下のくらし等々を通して、戦争加害者被害者両面からの公正な展示がなされている。また、3階ではさまざまな工夫が凝らされた企画展が次々と開催されている。加えて来年は開館10周年を迎えるにあたり、ボランティアスタッフ一同熱の入り様は目を見張るばかりである。
 1階展示室の戦争と平和の対照パネルの冒頭にある哲学者イマヌエル・カントが著した『永遠平和のために』の中の、「常備軍は時と共に全廃しなければならない」と、「いかなる国家もほかの国の体制や統治に暴力をもって干渉してはならない」などの言葉は平和への希望を与えてくれる言葉として記載されてはいるものの、写真パネル上で繰り返し繰り返し行われる人と人同士の虚しい殺戮の連鎖は、見るものに何を訴えているのだろうか。
 20世紀は1億人の戦死者を伴う悲しい戦争の世紀となってしまった。誰しも次に迎える21世紀こそは、人類の英知が勝利し平和の世紀になることを願っていたはずである。にもかかわらず懲りない戦争にさらに過激なテロが加わり殺戮の連鎖は途切れる気配が全くない。また、私たちの身近な日常においても、新聞テレビを見れば殺人事件や凶悪犯罪が後を絶たない。なぜだろうか。この流れをただす方法は何処にあるのだろうか。

絵はがき

話に聞き入る生徒さんたち

館内見学は、生の歴史教育
 先日、某中学校の生徒たちに館内ガイドをしていた折、女子生徒が突然気が遠くなったような表情を浮かべて、目の前で倒れた。3班あるうち他の班でも倒れたようだった。県外は遠方より、戦争と平和の研修に来て一生懸命説明を聞いてくれていた矢先だっただけに驚きは隠せなかった。しかし、付き添いの先生方の対応が落ち着いていて、団体の動きを損なわないように、即、休憩を取らせ、また合流させてくださったので事なきを得た。
 ピースあいちの館内見学は、教科書教育にはない、生の歴史教育ともいうべきものである。従来の戦争の被害者一辺倒の認識が揺らぎ、なおかつ、15年戦争という大局的な戦争観に触れ、教科書教育では曖昧にされてきた戦争史の実相を垣間見たに違いない。誰が被害者で、誰が加害者なのかわからなくなってゆく言葉のパラドックスから抜け出すことができなくなり、心が不安定になったのかもしれない。お国のためにと亡くなった祖父や曾祖父たちが、まさかアジアの戦争の加害者であったとは。自分の心の中で整理しきれず眩暈を起こしたのだろうか。
 そこまで素直にガイドの話を聞いてくれたのかと思うと、あらためて身の引き締まる思いがした。

 昭和天皇による終戦の詔勅が掲載された8月15日付新聞の展示の次のコーナーに、『あたらしい憲法のはなし』が展示されている。戦後、この「日本国憲法」が国家を縛り71年の平和を護持してくれたことを日本国民は決して忘れてはならない。さらにまた、国民一人一人を間違った道に進まないように、正しく縛る「心の道徳」がいま必要とされているのではないかと私は思うのである。
 常套文句であるが大切な言葉が脳裏をよぎる。「過去は変えられないが、未来は変えることができる。私たちの智慧と行動によって。」