今月の「ピースあいち」◆来館者アンケートより           
   



語り手

 今月の「ピースあいち」は、1月半に及ぶ「原爆の図」展が終了し、8日は開館9周年の「ピースまつり」。24日から始まった「沖縄展―辺野古から沖縄・日本を考える」、29日の「SEALDs×ピースあいちー行動する主権者になる!-私が幸せになるためにー」の準備をすすめてきました。アンケートには原爆の図展」を見てたくさんの感想が寄せられました。

■アンケートより

「原爆の図」初めて鑑賞しました。「救出」の章に登場する、リヤカー脇の男性のまなざしは、どの角度からも視線が合い、「目をそらさないでくれ」と訴えているように感じました。また、手を合わせる女性と子どもの姿も、惨状の中で人の心を忘れないところに心を打たれました。(38歳男)

丸木夫妻の「原爆の図」を鑑賞。1.8m×7.2mの大絵図の迫力に言葉が出ないほど圧倒されました。(65歳男

ずっとずっと永く展示をつづけ、メッセージを伝え続けてください。(74歳男)

戦争は後世に伝えていかなければならない。風化させることは、当時の人々を無駄に殺すことと同義。こういった資料館があることで平和への意識ももてる。(20歳男)

丸木夫妻の「原爆の図」の実物をはじめて見ました。肉体の描写を通じて、生々しく原爆の場の悲劇を雄弁に語っているようで、胸をつかれました。(69歳女)

丸木夫妻の平和の願いを実感しました。(76歳男)

戦時中の展示等を見るのが好きです。自分たちの知らない時代、私たちの今の平和な日本では想像のつかない生活だったと思います。もっといろいろなことを知りたいと思います。知らなければいけないと思います。私たちの世代やもっと若い世代がもっと当時の日本を知らなければいけないと思う。戦争を生きてきた方達も高齢になり、生の声を聞くことができる私達が覚えていないといけない時代だと思います。これからも、もっといろいろなことを知っていきたいので、日本の各地の資料館を見学していきたいと思っています。(40歳女)

昭和30年代に広島県呉市に住んでいましたので、「幽霊」「火」「水」は、見ました。今日は違うのを見せていただいて感動しました。生きている間にもう一度見たいと思います。(82歳女)

丸木位里・俊作「原爆の図」を見たくて来ました。この春退職しました。今まで広島にも長崎にも行ったことがありません。来週まず長崎の原爆記念館に行きます。原爆の図15作をこの目に焼き付けようと思います。*地図がよくわからなくて、一時間歩きました。初めてこの地に来るものには分かりにくい気がします。〒マークや地下鉄周辺の建物名を記載していただけるといいかなと思います。(59歳女)

「原爆の図」はずっと見たいと思っていました。昨年、北名古屋市の芸大で沖縄戦の図を見て、原爆の図もと思っていたからです。日本画を見るのが好きですが、丸木夫妻の絵は本当に心にストンと響き、目頭が熱くなります。足を運んでよかったです。(45歳女)

愛葉由依さんの論文を読むために来ました。名東区に住んでいますが、生まれたのは大竹。由依さんのおじいさんが大竹海兵団に配属された翌月、昭和20年3月生まれです。父は当時大竹から広島県庁に通勤しており、同年8月6日県庁に到着直前に被爆し、翌7日に亡くなりました。生後5か月のことでした。私の通学した県立大竹高校の校舎は、1~2年生の時まで、海兵団の名残りの建物でした。原爆は単に破壊力の大きい爆弾ではありません。それは後世に何代も影響を与えるおそれのあるもので、福島の事故も同様です。戦争責任はいろいろ問われるでしょうが、誰が悪いというものではなく、戦争そのものが悪なのです。(71歳男)

先日は娘がお世話になりありがとうございました。娘の卒論が、このような形でいろんな人たちに読んでいただき、とてもうれしく思っています。娘の卒論のおかげで、私も父から聞いたことのない話を聞くことができ、昨年の夏には一緒に広島に行くこともでき、とてもよかったです。(48歳女)

「原爆の図」が見たくて来ました。あの絵に描かれている人の中に私もいたかもしれないと思ったら…。今平和を真剣に考えなければいけないと感じます。毎日のなにげない日常が続くことを「あたり前」と思っていますが。実は…一人一人の思考によるものだと気付かなければなりません。(56歳女)

戦争中は、愛媛(四国)のいなかで、すごしていました。宇和島への爆撃など遠くから見ていました。昭和32年(18歳)から60歳まで三菱重工(現)の大幸工場、大江工場で働いていました。大幸工場の発動機試験場は空爆で建物の壁がいたる所に穴があいていました。その試験場で新しく作ったエンジンのテストなどもしました。大江工場も空爆で建物の骨組みがかたむいていました(現在は修復されているかもしれません)。展示品を見て働いていた頃のことを思い出しました。(77歳男)

丸木さんの「原爆の図」今回は2点展示。迫力があります。見に来てよかった。ビデオ「WATCH 真相に迫る」は、とてもよかった。「原爆の図」のことよくわかりました。原爆は私の小学校1年生の時、投下されました(当時は愛媛県にいました)。その後、お寺の小僧さんとしてもらわれてきた子は、原爆で家族を失った孤児でした。私にとって原爆はひとごとではありません。(77歳女)

展示だけでなく、さまざまな活動を企画・運営されていることに感心した。戦争という負の遺産から目をそむけることなく、戦争の実態や戦争が残した教訓を次世代に伝えることは、軍靴の足音が近付きつつある今の日本にとって何より大切な事と思います。どうぞこれからもご活躍ください。(62歳女)

「原爆の図」を初めて見ました。血の赤い色と馬の目の白い色が心に刺さりました。空襲警報と警戒警報で警報の音が違うことを初めて知りました。終戦の詔勅、天皇の声は、命令口調に聞こえました。(50歳男)

「原爆の図」―――本当にショックでした。現実はもっともっとひどいものだったのでしょうね。戦争は絶対にいけないと思いました。(65歳女)

原爆の図を全部見たくなりました。(34歳男)

2005年9月22日のある新聞社の夕刊に、死んだ妹の亡骸をおぶって立つ少年の写真が掲載されていました。妹の死を背にしょって、本当は声をあげて泣きたかったろうに、あんなに幼い子がそれすら許されず、唇をかみしめて、まっすぐ前を見て起立している、その姿に胸を打たれ、戦争の残酷さを改めて知った一枚でした。まさかここで再会できるとは思っていませんでした。70年経ってやっと現職のアメリカ大統領が広島を訪れることになりそうです。やっとその時が来た。それだけの時間の経過、時代の変化が必要だったのだと思います。その前にぜひ、まだ一度も訪れたことのない広島の資料館へ足を運びたいと思います。(36歳女)

見るのも読むのもみな心がつまる思いです。今の時代に生かされていることに感謝いたします。(72歳女)

たくさんの写真や実際に当時使われたモノを見て、私自身もちろん戦争を体験したことはないのですが、戦争の与えるさまざまな影響、目をそむけたくなるような光景が実際に最近起こっていたことを実感しました。教科書でしか知らなかった、今まで現実感がなかったものが、名古屋のことを中心に見ながら、より身近というか強く感じることが出来ました。今でも戦争がこの世界で起こって、傷ついている人々がいることを忘れないでいたい。日本も9条が守られますように。(19歳女)

「原爆の図」は2・3度観たけれど、その度に、戦争の暴挙・非人道への怒りと人々への哀悼の気持ちを禁じ得ない。多くの資料を収集されたご努力に感謝。(84歳男)

小学校3年生で集団疎開に行きました。家族と別れさみしい毎日でしたが、お国のためとがんばってきました。終戦の日は、何もわかりませんでしたが先生たちが大泣きされる姿を見て、それと知りました。(80歳女)

戦争はよくないです!!丸木さんの「原爆の図」、すごい迫力でした。(65歳男)

大変興味深い資料をたくさん見ることができてよかったです。(17歳女)

丸木夫妻の絵をみるのは2回目です。年を経て家族が変わると見方も変わります。それでも溢れる涙はとまりません。(55歳女)

終戦の時は11歳でした。黒塗りの教科書、慰問袋、千人針等々思い出すことが多く、胸が痛くなりました。また、ゆっくり見に来たいと思います。(82歳女)