◆所蔵品から◆資料ナンバー7864 アサヒグラフ 1938年3月23日号の話 資料班


 
表紙

アサヒグラフ1938年3月23日号表紙

 1938年、昭和13年のアサヒグラフです。表紙は、神社のこま犬みたいですが、背景に鳥居やお社(やしろ)はありません。平原に一体だけぽつんとあるようです。説明によると、「北京郊外明十三陵の陵道にある大理石の大獅子」。明十三陵、というのは明の皇帝13人のお墓があるところらしい。

表紙

アサヒグラフ1938年3月23日号表紙 (部分)

 獅子の顔の横、向かって右に四角く囲まれた部分があります。
拡大してみたのがこちら。「ここに切手を貼って陸軍省か海軍省の恤兵部に送ると皇軍慰問品として取り扱われる」という内容です。恤兵(じゅっぺい)部というのは、寄付金や慰問品を担当する部署です。

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アサヒグラフ1938年3月23日号「上海爆撃の跡」

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アサヒグラフ1938年3月23日号「南京の防空施設」

 巻頭の特集は、表紙にも出ていますが、「建築上から見た上海の爆撃と南京の防空」です。
 「上海爆撃の跡」では、爆弾で穴の開いた壁や天井、まがった鉄筋、エレベーター塔を残して崩れ落ちた建物、火災の跡などの写真が紹介されています。
 「南京の防空施設」は、防空壕の写真と見取り図、窓をふさがれた建物、煉瓦塀に隠された銃眼、灰色に塗られたホテル、屋根に3色の迷彩を施された駅のホームなどが載っています。迷彩は、戦車など動くものには良くても都市の建物に用いるとかえって目立つ、という解説もついています。

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アサヒグラフ1938年3月23日号「世界の動き」

 1938年には、どんなことが起きていたのでしょうか。
 「世界の動き」ページを見てみます。アメリカ海軍の演習、オランダ王室のおめでた、ナイアガラ橋の爆破。それから、「女性よ先づ(まず)美しくあれ」。
 ヒトラー青年団団長バルドウル・フオン・シーラツハ氏(当年31歳)の演説が紹介されています。
 『全ドイツの結婚適齢期にある女性をして今一番その美容に留意せしむべきである。』
 『従って満18歳より満21歳までの女子はB・M・D(青年女子同盟)に属する「信念と美」奉仕団の一員とならねばならぬ。』
 『ここでは忌むべき外来物である白粉と口紅を排し、体育と舞踊体操によるアリアン人種独特の正しき方法によって女性の美化を計らんとするものである。』
 「若き団長の肺腑より吐露された『女性よ先づ美しくあれ』の叫び」だそうです。笑うところなのかまじめな記事なのか。
 左側のページは「総統の歴史的大演説」。1938年2月23日のヒトラーの演説について取り上げています。
 「重要諸点を明らかにしてドイツの進むべき道を指示した」と書かれていますが、その中に「独墺(ドイツ-オーストリア)関係緊密化」もあります。映画「サウンド・オブ・ミュージック」にも出てきますが、オーストリアはこの演説の後、3月にドイツに併合されます。

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アサヒグラフ1938年3月23日号「総動員法を繞(めぐ)る」

 国内は「総動員法を繞(めぐ)る」。
 国家総動員法の法案が国会と委員会で議論されています。「このアサヒグラフがお目見えする頃は法案の運命はもう峠を越しているだろう」という文があるので、まだ話し合いの途中です。
 法案に対する反対意見がいろいろと紹介されています。
 ほとんど全条項に「勅令の定むるところにより」があるので、「この勅令と勅令を組み合わせたら何でも出来るじゃないか」とか。
 ほかには、「憲法に違反している」「ファッショ政治の独裁に利用されやすい」「日本国民は一死報国の決意に漲(みなぎ)っているのにこんな法律で強制されるのは侮辱である」「こんな大法案を運用するのに現在のだらしない行政振りでは任せきることができない」など。反対意見が出る余地がまだあったのだなあ、と、意外な感じがしました。大政翼賛会ができるのはこの後になるのですね。
 あとのほうを読むと、「審議十数日、」「否決論はほとんど影をひそめて、」とあるので、勢いは続かなかったみたい。
 左上の写真は、「(佐藤中佐が)答弁中に「黙れ」と委員を叱咤したことから大波乱を惹起し、」「ついに紛糾(ふんきゅう)裡に散会となった」「写真は退場せんとする佐藤中佐(先頭)」です。

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アサヒグラフ1938年3月23日号「赤色空軍を批判する」

 もう一つご紹介したいと思います。「赤色空軍を批判する」
 左上の写真は、パラシュートを背負って着地した兵士です。
 ソ連(ソビエト連邦)の落下傘部隊についての記事です。使いどころがかなり限られるのではないか、という意見が述べられています。「新しい戦略の萌芽が胎胞されているかもしれない」とも書かれています。
 読んでいて、「?」と思ったのは、落下傘は「らっかさん」と読むと思っていたら、ふり仮名が「落(らく)下傘(かさ)」だったのです。(「下」の字にはふり仮名がありません。)
 中原中也の詩を思い出しました。

サーカス 中原中也 『山羊の歌』より

幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

(中略)

    落下傘奴(らくかがさめ)のノスタルヂアと
    ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん


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