南守夫さん、ご冥福を祈ります                   運営委員  河原 忠弘



南先生

2012年8月、「空襲を記録する会・全国集会」(名市大)で講演する南先生

  1月25日、元愛知教育大学教授の南守夫さんが亡くなった。61才の若さであった。もっと教えていただくことがあったのに、かなわず残念でならない。

  「ピースあいち」は開館準備段階から南さんにご指導いただいたと聞く。館の今日を在らしめた貢献者と言える。南さんは元来ドイツ文学研究者だと聞いたが、文学のことは話されず、戦争記念ミュージアムは如何にあるべきか、という主旨のお話を繰り返し話されていた。それは「戦争責任を明確にして平和への道筋を示す」ということでもあったと思う。

  私が初めてお目にかかったのは、「ピースあいち」の研究会が始まって席を同じくした時である。その頃、私は歴史認識問題に関心を持ち、その関連で、高橋哲也氏の「靖国問題」を読んだ。その中で高橋氏が南さんの論述を引用しているのに出会って、南さんのご見識に触れたのであった。
  多くを教えていただいたが、最大のものは、研究者としての立ち位置・視点についてであった。歴史を一般市民の立場から見直して、事実を表現することである。私は事実の検証などせずに安易に主張をまとめがちだが、南さんは愚直に検証にこだわっていた。それは、他からの批判、指弾の余地を残さないものであり、博物館の展示の上では、守るべき基本である。
  ご一緒に勉強会を持ったのは、企画展示「現代の戦争と平和」の準備の時からであり、同じテーマの1階常設展示のリニューアルの作業につながった。そこでは、戦争をおこし進める指導者を表現するのではなく、無名の市民の立場、視線からの表現を重視した。展示には南さん自らが作った表1枚と、自身が撮った写真3枚、推薦の写真2枚を組みこませていただいた。それらはながく展示されるであろう。

  昨年11月の研究会で「みなさんが真面目に研究会を続けているのを確認できて安心した」との評をくださった。それが最後の言葉であった。
  南さんは、ノイエ・ヴァッヘのケーテ・コルヴィッツ作「死んだ息子を抱く母親」像について熱を入れて話された、と仄聞した。戦争犠牲者追悼の在り方と戦争責任のとり方への見解を示したのであろうが、同時に真に優しいお気持ちを持たれていたからだとも思う。

  お世話になりました。ありがとうございました。ご冥福を祈ります。