ドイツ平和と歴史の旅◆ベルリン・ドレスデンを見学2     運営委員  吉岡 由紀夫



絵はがき

 12月25・26日にドレスデンを見学しました。ベルリンの南、約175kmにあります。人口は約52万人でザクセン州の州都です。ドレスデンは「ドイツのフィレンツェ」ともよばれる歴史的な都市です。イギリス軍・アメリカ軍によるドレスデンへの空襲は1945年2月13日~14日(2万5千人の死者)にかけて行われましたが、東京大空襲をはじめとする広島・長崎の原爆投下と同じように敗北が決定的になったときに行われました。
 泊まったホテルのまわりを朝早く一人で散歩しました。戦後68年が経過しても、破壊された街並みの発掘と調査が行われています。建物の復興が取り組まれており、爆撃で壊れても、元のようにかけらの一つ一つがどこに使われていたのか、写真等で鑑定して復元し昔の姿を伝え、中は改造して今も活用されています。ホテルの前にあるフラウエン教会(1726~43年に建設)の塔の上に立つ十字架は「和解の印」として空爆を行ったイギリスから贈られたそうです。余談ですが、ツヴィンガー宮殿内にあるフェルメールの「手紙を読む少女」を見ることができました。

 ベルリン市内にはユダヤ関連の施設がたくさんあります。以前「ピースあいち」で東海高校のN先生が語られたことがあったので聞かれた方もあるかもしれませんが、『ユダヤ人のための記念碑と情報センター』を実際に見学して強烈な印象が残りました。この記念碑が建てられている場所は、首都の一等地の真ん中です(東京の国会議事堂周辺を想像してみてください)。なぜここに建てられたかというと、ドイツで最も重要なホロコースト(大虐殺)の記念地だからです。 

絵はがき


 記念碑は、コンクリート製の石碑2,711基が並ぶ19,000㎡(ナゴヤドームのグラウンド面積は13,400㎡)にも及ぶ広大な石碑の広場とその地下にある情報センターから成っています。
 情報センターの中にある『名前の部屋』に入ってみました。部屋(私の足幅で16歩×16歩の大きさ)の中は映画館のように暗く、画面に全ヨーロッパで殺害されたり行方不明になったりしたユダヤ人の名前と略歴を一人ずつ読み上げています。時間を計ってみると1人あたり1分10秒前後でした。全犠牲者を読み上げるのに6年7カ月27日間かかるとパンフレットに書かれていました。
 ショックだったのがユダヤ人の名前と略歴で「1932~1945」と書いてある場面を見て「13歳の子どもが亡くなっている、これからの人生があっただろうに」と思うとつらい気持ちになりました。記念碑が「過去を忘れず、若い世代に伝えていく」というドイツ人の決意の象徴だと思いました。